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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Red-Headed League 赤毛組合 8

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「君は家へ帰りたいと思っている。そうだろう、博士。」ホールを出ると、ホームズは私の心境を当ててみせた。
「ああ、その方がいい。」
「僕は少々時間を食う用事がある。
コバーグ・スクエアの事件は深刻だ。」
「どういうことだ?」
「大それた犯罪を企んでいるやつがいる。
だが食い止めるだけの時間はある。確信できるだけの根拠もある。
しかし、今日は土曜日だ。事は錯綜するだろう。
今晩、君の手を借りるかもしれない。」
「何時だ?」
「十時くらいで充分だろう。」
「では、十時にベイカー街へ行こう。」
「頼む。あと博士、少々危険かもしれないから、君の軍用リヴォルヴァをポケットに忍ばせておいてくれたまえ。」
ホームズは手を振り、きびすを返すと、たちまち群衆の中へ消えていった。
 私は、自分が周囲の人より頭が悪いとは思っていない。だがシャーロック・ホームズと接していると、いつも自らの愚鈍さを感じ、憂鬱になるのだ。
今回の件でも、ホームズが見聞きしたことは、私も同じように見聞きしている。それでもやはり、ホームズの言葉から察するに、ホームズは事件の経過全体だけではなく、これから何が起ころうとしているかも見抜いているようだった。それに引き替え、私と来たら事件の全容がいまだ混沌として奇怪なままだ。
ケンジントン区の自宅へ馬車で帰る途中、私はずっと考えていた。百科事典を筆写した赤毛の男の異常な話。サックス・コバーグ・スクエアへの調査。ホームズが別れ際に言った不吉な言葉に至るまで。
今夜の探検は何を意味しているのか。なぜ拳銃を持っていかなければならないのか。
どこへ行って、何をするのか。
ホームズの口振りでは、質屋のつるつる顔の店員は手強い男らしい。深い企みがあって動いているらしい。
私は謎のパズルを解きほぐそうとしたが、絶望し、あきらめ、夜になって全貌が明らかになるまでこの事は放っておくことにした。
 私がその夜、家を発ったのは九時十五分過ぎであった。ハイド公園《パーク》を抜け、オックスフォード街を通ってベイカー街へ出た。
玄関先には二台のハンソム馬車が止まっていて、私が玄関を入ると上階から話し声が聞こえた。
部屋に入っていくと、ホームズは二人の男と熱心に話をしていた。一人はかねてからの知り合い、警視庁のピーター・ジョーンズだった。もう一人は背が高く、細身で暗い顔のした男だった。光沢のあるシルクハットを持って、嫌みたらしく上等のフロック・コートを羽織っていた。
「さあ! これで全員揃った。」ホームズは皆に呼びかけた。ピー・ジャケットのボタンを掛けながら、棚から丈夫な狩猟|鞭《べん》を持ち出した。
「ワトソン、スコットランド・ヤードのピーターくんは知っているね。
こちらにいらっしゃるのはメリウェザーさんといって、今夜の冒険に同伴してくれるのだそうだ。」
「博士、また一緒に捜査することになりましたな。」とジョーンズはもったいぶった調子で言う。
「ここにおられる友人は狩猟がとてもうまいから、
追いつめた後に、引っ捕らえるだけの老犬がいればいいんですと。」
「終わってみれば雁《かり》一羽、なんてことにはなってほしくないですな。」とメリウェザー氏はむっつりと言う。
「なぁに、ホームズさんのことだから大船に乗ったつもりで。」ジョーンズは自分のことのように、横柄に言ったものだ。
「この人にはちょっと独特の方法があるんですよ。言って気を悪くなさらないといいのですが、あえて言わせてもらいますよ。少々理屈っぽくて空想に耽ることが多い、けれども、彼は立派な探偵であります。
これまでも一、二度ばかりでなく、例えばショルトォ殺人事件やアグラ財宝事件でも、本職の警察《われわれ》よりも真に迫った推理をなさったんですよ。」
「ほう、ジョーンズさん、あなたがそう言われるのなら、大丈夫ですな。」新参者のメリウェザー氏が敬意をこめて言った。
「しかし……ブリッジの三番勝負ができなくて残念ですなぁ。
土曜日の夜には毎週欠かさないのに、しないなどということは実に二十七年振りでして……」
「今にご覧あれ、」とシャーロック・ホームズは言う。「今夜は今までとは違います。より高い賭け金で勝負してもらうことになります。心が昂《たか》ぶる勝負です。
メリウェザーさん、あなたの賭け金は三万ポンドです。とすると、ジョーンズ、君の賭けは犯人逮捕ということになる。」
「ジョン・クレイは殺人犯で窃盗、その上、貨幣偽造をして、その金を自分で使ってやがるやつだ。
若造だが、メリウェザーさん、やつはその道では右に出るものがいないほどの悪党で、……私はロンドンのどんな悪党よりも、こやつにこの手錠を掛けてやりたいんです。
この若造、ジョン・クレイは抜きん出た男ですよ。
祖父は王族出の公爵で、こやつ自身もイートン校からオックスフォード大学の出です。
やつは手先も器用、さらに狡猾とあって……密告があって捕まえようとしても、いつだって立ちまわった跡だけが残っていて、やつそのものの所在はどこへやらだ! 
スコットランドで押し込み強盗をしたと思えば、次の週はコーンワルで孤児院の設立資金とかぬかして金を騙し集めていたりしやがる。
長年、やつを追っているんだが、まだこの目で見た事がない。」
ジョン・クレイ先生を君たちにご紹介できるのだから。彼とはちょっとした関わり合いがあるが、君の意見に賛成だ。確かにこの道にかけては第一人者である。
さて、十時過ぎになりました。出発の時間です。
二人は前のハンソム馬車にご乗車を。ワトソンと僕は後ろからついていきます。」
 馬車に乗ると、シャーロック・ホームズは堅く口を閉ざしてしまった。辻馬車のシートに深く座り、この午後に聴いた旋律を口ずさんでいた。
迷路のような街並みはガス灯に照らされていた。そうして、我々はついにファリントン街へ入った。
「もうすぐだ。」ホームズはようやく口を開き、説明をする。
「あのメリウェザーという男は銀行の重役だ。この事件に直接利害関係がある。
また、ジョーンズくんがいてくれた方がいいと判断した。
悪い男ではない――本職では全くの無能だが。
まあ、取り柄も一つくらいはあるな。
殊に勇敢さはブルドッグのようである。粘り強さもロブスターのようだ。捕まえたものを離さないという点でね。
さて、着いたか。前の二人も待っている。」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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