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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Stock-Broker's Clerk 株式仲買人 6

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「さて何だ。」とホームズがささやく。
「僕らをまいているのか。」
「無理です。」とパイクロフトが答える。
「それはなぜ。」
「あの扉の先は内部屋です。」
「出口はない?」
「はい。」
「家具は?」
「昨日は空っぽでした。」
「ならばいったい何ができる。
この件にはどこかわからない点がある。
ひょっとしなくても、頭のおかしい男がいるとしたら、その男の名はピナーだ。
何があの男をふるえさせるのか。」
「私たちが探偵だと勘づいたんでは。」と私は言ってみる。
「そうですよ。」とパイクロフトも言う。
 ホームズは首を振って、
「今青ざめたのではない、
すでに青かったのだ、部屋に入ったときには。」と言い、
「ただありうることは――」
 その言葉は、内部屋の方から来る、鋭いコッコッという音で妨げられる。
「いったいなんだって自分の部屋を叩いてるんだ?」と仲買人は言った。
 再度さらに大きな音、
全員で固唾をのんで閉ざされた扉を見つめる。
ホームズに目をやると、その顔はこわばり、極度の興奮のため前傾姿勢で身構えている。
と、ふいに低いゴボゴボ、ゴロゴロという音、続いて木材を激しく叩く音。
ホームズは慌てて部屋を横切り、扉を押す。
内側から鍵がかかっていた。
その動きに続いて、我々全員の体重を扉にぶつける。
蝶番がひとつ弾け飛び、それからもうひとつ、とうとう扉が音を立てて倒れる。
その上から飛び込み、我々は内部屋へ。
 もぬけの殻だ。
 しかし戸惑うのもほんのわずかのあいだ。
片隅、今出た部屋に近い方の隅に、もうひとつの扉。
ホームズが飛びついて引き開ける。
上着とベストが床に落ち、扉の後ろの鈎金から、首まわりに吊り帯を巻き付け、仏・中英金物株式会社社長はぶら下がっていた。
膝は引き上がり、首は胴体からものすごい角度で垂れており、扉へ踵が当たって、我々の会話を妨げたあの音を出している。
 すぐさま私は男の胴を抱え上げ、ホームズとパイクロフトが、青白くなった皮に食い込んで見えなくなったゴム帯をほどく。
それから全員で男を別の部屋へ運び、そこへ寝かせる。顔は土気色で、紫の唇が息を出し入れするたびに泡を吹く――虫の息だ。ほんの五分前まではちゃんと生きていたのに。
「どう思うね、ワトソン?」とホームズが尋ねてくる。
 私は男の上にかがんで調べる。
脈は弱く滞りがちだが、息は次第に長くなってきており、まぶたにもかすかに痙攣があって、下の白い眼球をわずかに細く見せている。
「かろうじてだが、」と私。「まだ生きてると思う。
すぐ窓を開けて、水差しを私に。」
 男の襟を外して冷や水を頬に注ぎかけ、腕を上下させていると、とうとう長く自然な息をするようになった。
「あとはもう時間の問題だ。」と言って私は男から離れる。
 ホームズは机のかたわらに立ち、手を下に深くつっこんで、顎を胸につくまで引いている。
「すぐに警察へ連絡すべきだ。」と友人。
「だが正直のところ、来る頃には解決済みで引き渡したい。」
「ぼくにはちんぷんかんぷんです。」とパイクロフトは声を張り上げ、頭をかきむしる。
「いったいなんだって、わざわざこんなところまでぼくを呼び出して、その上――」
「ふん! それはもうはっきりしている。」とホームズは苛立たしげだ。
「問題はこの最後の唐突な振る舞いだ。」
「じゃ、他はみんなわかってると?」
「きわめて明白だと思われます。
君は何と言う、ワトソン?」
 私は肩をすくませ、
「正直のところ、手も出ないよ。」
「ほう、ただまず出来事を考えれば、ただ一点に帰着しうる。」
「君はどう見るのかね。」
「ふむ、全体の要点はふたつある。
第一は、パイクロフトがこのばかげた会社の勤めに入る際に誓約書を書かせたこと。
実にいわくありげだと思わないか?」
「すまんが見えてこんよ。」
「では、なにゆえそんなことをさせたかったのか。
事務上のことではない。たいていこの主の取り決めは口頭で、ここで原則を外れる事由はまったくない。
わかりませんか、パイクロフトさん、彼らはあなたの筆跡の見本をぜひとも手に入れたかった、ゆえにそうするしかなかったのです。」
「けれどもどうして?」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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