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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出
The Stock-Broker's Clerk 株式仲買人 5
Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
相手が送り出してくれたあと、気がつくとぼくは通りにいて、すっかり混乱してしまっていて、
宿に戻って頭に洗面器一杯の冷たい水をかぶって、考え抜こうとしたんです。
なんで相手はぼくをロンドンからバーミンガムまでやったのか。
みんなぼくの手には余るもので、何もわかってこないのです。
そこでふとひらめいて、ぼくにはまっくらなことでも、シャーロック・ホームズ先生にははっきり見えるかも、と。
上りの夜汽車にぎりぎり乗り込んで、今朝会いまして、そしてまたみなさんとご一緒にバーミンガムへ。」
沈黙があった。株式仲買人の驚くべき経験が語られたあと、
つとシャーロック・ホームズが私に目配せをする。クッションに背をもたれさせながら、嬉しそうな、それでいて品定めするような顔をしていた。まるで彗星接近時の年代物を一口含んだばかりのワイン通のようだ。
「それなりにいい、ワトソン、だろう?」と友人は言う。
思うに君も賛成してくれるだろうが、アーサー・ハリー・ピナー氏と仏・中英金物株式会社の仮事務所で相まみえることは、僕ら両名にしてもそれなりに興味深い経験となろう。」
「いやあ、ごく簡単です。」とホール・パイクロフトの朗らかな声。
「おふたりはぼくの友だちで求職中、それで社長のところへつれてきた、っていうのが一番自然でしょう?」
「ぜひその紳士に会いたい、なおかつ彼のささやかな企みから何かわかるのか確かめたい。
君がどう役に立つか、そう、貴重な役割を果たすほどに。それとも可能性として――」
と友人は爪を噛み始め、窓の外をぼんやりと見つめる。そうしてそれから一言も聞き出せないままニュー街へとたどり着く。
夜七時、我々は三人してコーポレイション街を下り、その会社の事務所へと向かった。
「時間より前に行っても無駄なんです。」と依頼人は言う。
「ぼくと会うためだけにあそこへ来るみたいです、どうも。指定の時刻までがら空きなんです。」
「本当に、そうですよ!」と仲買人が声を張り上げて、
指さした先に、小柄で黒髪の身なりのいい男が、道の向かい側を駆け足で歩いていた。
様子をうかがっていると、こちら側へ目をやって、夕刊の最新版を大声で売る少年を見つけると、辻馬車や乗合馬車のあいだを走り抜け、ひとつ買い上げた。
「今入っていったところに会社の事務所が並んでいるんです。
来てください、できるだけうまく取りなしますので。」
仲買人の先導で五階まで昇ると、目の前に半開きの扉があって、そこを依頼人が叩く。
中へ促す声が内側から聞こえ、入ってみると、そこはホール・パイクロフトが表現した通り家具のないがらんとした部屋だった。
唯一の机に座っている男は、まさに外で見た人物で、こちらを見上げた顔からすると、私にはどうもこれまで見たことない顔、悲しみを、いや悲しみ以上のものをたたえたような――一生のうち人がそうは出会わぬ恐怖の形相であるように思えた。
額は汗で輝き、頬は魚の腹のように濁った白で、目は思い詰めてぎょろりとしている。
男はその仲買人を誰だかわからないかのように見つめていて、私は案内人の顔に表れた驚愕から、これはけしてその雇い主の平生の表情ではないと知った。
「大丈夫ですか、ピナーさん!」と依頼人は声を上げる。
「ええ、具合がよくなくて。」と相手は答え、何とか自分を持ち直そうとしているのがありありとわかったが、乾いた唇をなめて言葉を吐き出す。
「こちらはバーモンジのハリスさん、そしてこちらがこの町のプライスさん。」と仲買人はよどみなく答え、
「ふたりともぼくの友だちで、経験のある紳士なんですけれど、しばらくのあいだ失業してて、そんなわけでもしかするとこの会社に勤め口を見つけてもらえるかなと思ったんです。」
「できるとも! できるともさ!」とピナー氏は不気味な笑みを浮かべて叫ぶ。
「ええ、間違いなくみなさんのために何かできましょう。
「ああ、うん、そのような方も必要となりましょう――それからあなた、プライスさんは?」
だから今はどうかお引き取りを。お願いですから、ひとりにしてください!」
この最後の言葉が男から飛び出たとき、まるで当人にかかっていたはずの自制の縄が、いきなり残らずはち切れたかのようだった。
ホームズと私が互いに顔を見合わせていると、ホール・パイクロフトが机の方へ近寄る。
「お忘れですよ、ピナーさん。ぼくは約束してここに、指示を受けに来てるんです。」と言うと、
「わかっている、パイクロフトくん、わかっている。」と相手はやや落ち着いた調子に戻って、
「ちょっとここで待っててくれ。ご友人だって一緒に待ってくれないこともないだろう?
三分したら、ちゃんとよろしくやるから。それまですまないが辛抱をしてもらえれば。」
と、男は礼儀正しい所作で立ち上がると、我々にお辞儀をし、部屋の奥隅にある扉から出て行き、後ろ手に閉めてしまった。
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo