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坊っちゃん 十一 Botchan Chapter XI (2)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
校長は三時間目に校長室から出てきて、困った事を新聞がかき出しましたね。むずかしくならなければいいが
おれには心配なんかない、先で免職《めんしょく》をするなら、免職される前に辞表を出してしまうだけだ。
しかし自分がわるくないのにこっちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋をますます増長させる訳だから、
新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考えた。
帰りがけに新聞屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消《とりけし》の手続きはしたと云うから、やめた。
おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計《みはから》って、嘘のないところを一応説明した。
校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨《うら》みを抱《いだ》いて、あんな記事をことさらに掲《かか》げたんだろうと論断した。
赤シャツはおれ等の行為《こうい》を弁解しながら控所《ひかえじょ》を一人ごとに廻《まわ》ってあるいていた。
ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのごとく吹聴《ふいちょう》していた。
みんなは全く新聞屋がわるい、怪《け》しからん、両君は実に災難だと云った。
帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭《くさ》いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。
どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、
君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲《ま》き込《こ》んだのは策だぜと教えてくれた。
山嵐は粗暴《そぼう》なようだが、おれより智慧《ちえ》のある男だと感心した。
「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物《かんぶつ》だ」
しかし新聞が赤シャツの云う事をそう容易《たやす》く聴《き》くかね」
本当に赤シャツの策なら、僕等はこの事件で免職になるかも知れないね」
「そんなら、おれは明日《あした》辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわあ。
こんな下等な所に頼《たの》んだって居るのはいやだ」
「あんな奸物の遣る事は、何でも証拠《しょうこ》の挙がらないように、挙がらないようにと工夫するんだから、反駁《はんばく》するのはむずかしいね」
「厄介《やっかい》だな。それじゃ濡衣《ぬれぎぬ》を着るんだね。
面白《おもしろ》くもない。天道是耶非《てんどうぜかひ》かだ」
それでいよいよとなったら、温泉《ゆ》の町で取って抑《おさ》えるより仕方がないだろう」
「そうさ。こっちはこっちで向うの急所を抑えるのさ」
「それもよかろう。おれは策略は下手《へた》なんだから、万事よろしく頼む。いざとなれば何でもする」
赤シャツが果《はた》たして山嵐の推察通りをやったのなら、実にひどい奴だ。
どうしても腕力《わんりょく》でなくっちゃ駄目《だめ》だ。
あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披《ひら》いてみると、正誤どころか取り消しも見えない。
学校へ行って狸《たぬき》に催促《さいそく》すると、あしたぐらい出すでしょうと云う。
また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだと云う答だ。
校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが存外無勢力なものだ。
虚偽《きょぎ》の記事を掲げた田舎新聞一つ詫《あや》まらせる事が出来ない。
あんまり腹が立ったから、それじゃ私が一人で行って主筆に談判すると云ったら、それはいかん、
つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないものだ。
あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭《せつゆ》を加えた。
新聞がそんな者なら、一日も早く打《ぶ》っ潰《つぶ》してしまった方が、われわれの利益だろう。
新聞にかかれるのと、泥鼈《すっぽん》に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日《こんにち》ただ今狸の説明によって始めて承知仕《つかまつ》った。
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY