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坊っちゃん 十一 Botchan Chapter XI (3)

夏目漱石 Soseki Natsume

青空文庫 AOZORA BUNKO
 それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然《ふんぜん》とやって来て、いよいよ時機が来た、おれは例の計画を断行するつもりだと云うから、
そうかそれじゃおれもやろうと、即座《そくざ》に一味徒党に加盟した。
ところが山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾《かたむ》けた。
なぜと聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云われたかと尋《たず》ねるから、
いや云われない。君は? と聴き返すと、
今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決《しょけつ》してくれと云われたとの事だ。
「そんな裁判はないぜ。
狸は大方腹鼓《はらつづみ》を叩《たた》き過ぎて、胃の位置が顛倒《てんどう》したんだ。君とおれは、いっしょに、祝勝会へ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踴《おど》りを見てさ、いっしょに喧嘩をとめにはいったんじゃないか。
辞表を出せというなら公平に両方へ出せと云うがいい。
なんで田舎《いなか》の学校はそう理窟《りくつ》が分らないんだろう。
焦慮《じれった》いな」
「それが赤シャツの指金《さしがね》だよ。
おれと赤シャツとは今までの行懸《ゆきがか》り上到底《とうてい》両立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ」
「おれだって赤シャツと両立するものか。
害にならないと思うなんて生意気だ」
「君はあまり単純過ぎるから、置いたって、どうでも胡魔化《ごまか》されると考えてるのさ」
「なお悪いや。誰《だれ》が両立してやるものか」
「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着《とうちゃく》しないだろう。
その上に君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に明きが出来て、授業にさし支《つか》えるからな」
「それじゃおれを間《あい》のくさびに一席伺《うかが》わせる気なんだな。
こん畜生《ちくしょう》、だれがその手に乗るものか」
 翌日《あくるひ》おれは学校へ出て校長室へ入って談判を始めた。「何で私に辞表を出せと云わないんですか」
「へえ?」と狸はあっけに取られている。
「堀田には出せ、私には出さないで好《い》いと云う法がありますか」
「それは学校の方の都合《つごう》で……」
「その都合が間違《まちが》ってまさあ。
私が出さなくって済むなら堀田だって、出す必要はないでしょう」
「その辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから」
 なるほど狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払《はら》ってる。
おれは仕様がないから「それじゃ私も辞表を出しましょう。
堀田君一人辞職させて、私が安閑《あんかん》として、留まっていられると思っていらっしゃるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」
「それは困る。
堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるで出来なくなってしまうから……」
「出来なくなっても私の知った事じゃありません」
「君そう我儘《わがまま》を云うものじゃない、
少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。
それに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来の履歴《りれき》に関係するから、
その辺も少しは考えたらいいでしょう」
「履歴なんか構うもんですか、
履歴より義理が大切です」
「そりゃごもっとも
――君の云うところは一々ごもっともだが、わたしの云う方も少しは察して下さい。
君が是非辞職すると云うなら辞職されてもいいから、代りのあるまでどうかやってもらいたい。
とにかく、うちでもう一返考え直してみて下さい」
 考え直すって、直しようのない明々白々たる理由だが、狸が蒼《あお》くなったり、赤くなったりして、可愛想《かわいそう》になったからひとまず考え直す事として引き下がった。
赤シャツには口もきかなかった。
どうせ遣っつけるなら塊《かた》めて、うんと遣っつける方がいい。
 山嵐に狸と談判した模様を話したら、
大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなるまでそのままにしておいても差支《さしつか》えあるまいとの話だったから、
山嵐の云う通りにした。
どうも山嵐の方がおれよりも利巧《りこう》らしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。
 
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY
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