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坊っちゃん 四 Botchan Chapter IV (1)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。
何でこの両人が当然の義務を免《まぬ》かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇《そうにんたいぐう》だからと云う。
面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃《の》がれるなんて不公平があるものか。
勝手な規則をこしらえて、それが当《あた》り前《まえ》だというような顔をしている。
これについては大分不平であるが、山嵐《やまあらし》の説によると、いくら一人《ひとり》で不平を並《なら》べたって通るものじゃないそうだ。
一人だって二人《ふたり》だって正しい事なら通りそうなものだ。
山嵐は might is right という英語を引いて説諭《せつゆ》を加えたが、
何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。
強者の権利ぐらいなら昔《むかし》から知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。
狸や赤シャツが強者だなんて、誰《だれ》が承知するものか。
議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻《まわ》って来た。
一体疳性《かんしょう》だから夜具《やぐ》蒲団《ふとん》などは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。
小供の時から、友達のうちへ泊《とま》った事はほとんどないくらいだ。
友達のうちでさえ厭《いや》なら学校の宿直はなおさら厭だ。
厭だけれども、これが四十円のうちへ籠《こも》っているなら仕方がない。
教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分《ずいぶん》間が抜《ぬ》けたものだ。
宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。
ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。
田舎《いなか》だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。
生徒の賄《まかない》を取りよせて晩飯を済ましたが、
よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。
飯は食ったが、まだ日が暮《く》れないから寝《ね》る訳に行かない。
宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪《わ》るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮《じゅうきんこ》同様な憂目《うきめ》に逢《あ》うのは我慢の出来るもんじゃない。
始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達《ようたし》に出たと小使《こづかい》が答えたのを妙《みょう》だと思ったが、
自分に番が廻《まわ》ってみると思い当る。出る方が正しいのだ。
何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛《でか》けた。
赤手拭《あかてぬぐい》は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方《ひぐれがた》になったから、汽車へ乗って古町《こまち》の停車場《ていしゃば》まで来て下りた。
狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。
すたすた急ぎ足にやってきたが、擦《す》れ違《ちが》った時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶《あいさつ》をした。
すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえと真面目《まじめ》くさって聞いた。
二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。
校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、
ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊ります
竪町《たてまち》の四つ角までくると今度は山嵐《やまあらし》に出っ喰《く》わした。
「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、
「宿直が無暗《むやみ》に出てあるくなんて、不都合《ふつごう》じゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、
出てあるかない方が不都合だ」と威張《いば》ってみせた。
と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。
暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY