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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter2-5

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「ね、ほんとうの話、ご主人とは別れたほうがいいみたいでしょ」とキャサリンがぼくに向かって言った。
「もう十一年もあのガレージに住んでるのね。
それで、トムが生まれてはじめての恋人ってわけ」
 ウイスキーのボトル――二本めの――はいまや出席者全員から手が出るようになっていた。といってもキャサリンは例外で、彼女は「なにも飲まなくてもいい気持ちで」いた。
トムがベルを鳴らしてアパートの管理人を呼び、評判のサンドイッチを買いに行かせた。これでその日の晩餐《ばんさん》のメニューはおしまいだった。
ぼくは黄昏《たそがれ》どきの静かな戸外に出て東のほう、公園あたりまで散歩したかったのだけど、そうしようとするたびにぼくは声高に戦わされる無茶苦茶な議論に巻きこまれ、ロープで引っ張られるようにして椅子にもどされた。
部屋の窓が描く黄色い帯は高いところにあったはずだけど、それでも暮れゆく通りから見上げるあの通行人の目には人類の秘密の一端を担うもののように思えたに違いない。ぼくもまたかれを見返し、それから天井を見、もの思いにふけった。
人生の尽きることない多様性に魅了され、同時にまた反感も覚えながら、ぼくの心は室内と室外を行きつ戻りつした。
 マートルが自分の椅子をぼくのそばまでひっぱってきて、急に、生温かい息に乗せてトムとの出会いをぼくに語りはじめた。
「その列車にはいつも最後まで空いてる席がふたつあってね。向かい合わせの席なんだけど、そこでかれとはじめて会ったのよ。
あたしは妹に会いにニューヨークに行って、そのまま泊まってくる予定だった。
かれは夜会服《やかいふく》をきて、エナメルの革靴を履《は》いてた。あたしの目はかれに釘づけだった。でもかれの目がこっちに向けられるたび、あたしは自分がかれの頭の上の広告を見てるふりをしたっけ。
駅につくとかれはあたしの隣に座って、白いワイシャツの前をあたしの腕に押しつけてきた。それで警察を呼ぶって言ってやったんだけど、嘘だと分かってたのね。
あたし、ぼうっとしちゃってかれといっしょにタクシーに乗ってしまった。地下鉄に乗るはずだったのにね。
頭の中で繰り返し繰り返し考えてた。『永遠に生きることはできないんだぞ、永遠に生きることはできないんだぞ』」
 彼女はミセス・マッキーをふりかえると、不自然な笑い声を室内にとどろかせた。
「ねえ、このドレス、脱いだらあんたにあげる。
あたしは明日新しいの買わなきゃだめだから。
揃えておかなきゃだめなの、リストしとこう。
まず、マッサージを受けて、ウェーブをかけて、それから犬の首輪に、あのスプリング式のかわいい灰皿ね。それから一夏《ひとなつ》もちそうな黒い花束を、母のお墓に。
やらなきゃだめなことを忘れないうちにリストしとかないと」
 九時――その後すぐに自分の時計を見たはずなのに、針は十時をさしていた。
ミスター・マッキーは椅子に座り、拳を膝の上に乗せたまま眠っていた。写真の中の活動家のように。
ぼくは自分のハンカチを取り出し、ずっと気になっていた、頬に残っていた石鹸の乾いた跡をぬぐった。
 子犬はテーブルの上に座って、まだよく見えてない目で、煙がもうもうとたちこめる部屋にじっと目を凝らし、ときどきかすかにうなった。
人々は消え、ふたたび現れ、どこかへ行こうと計画し、それからおたがいを見失い、おたがいを捜し、数十センチはなれたところにおたがいを見出す。
深夜になろうとしているころ、いつのまにかトム・ブキャナンとミセス・ウィルソンとが立ちあがって顔と顔とをつきあわせ、ミセス・ウィルソンにデイジーの名前を呼ぶ権利があるのかないのか言いあっていた。
「デイジー! デイジー! デイジー!」とミセス・ウィルソンが叫んだ。「言いたいときはいつだって言いますとも! デイジー! デイ――」
 無駄のない動きでトム・ブキャナンは彼女の鼻に平手打《ひらてう》ちをくれた。
 血染《ちぞ》めのタオルがバスルームの床に放り出され、騒々しい女たちの声が飛び交い、それを吹き飛ばすような泣き喚《わめ》きが余計に部屋の混乱をかきたてる。
ミスター・マッキーが目を覚まし、なかば寝ぼけたままドアへと向かった。
ドアまであと半分というところでくるりとふりかえって室内を見まわした。自分の妻とキャサリンが救急用品を手に部屋中の家具に何度もけつまずく。そして寝椅子に弱々しく横たわるミセス・ウィルソンはだらだらと血を流しながら、『タウン・タトル』をタペストリーに織りこまれたベルサイユの情景に広げようとしている。
ミスター・マッキーはふりかえり、そのままドアから出ていった。
シャンデリアから帽子をとったぼくもそのうしろに続いた。
「そのうちランチにおいでください」と、かれは、ぼくらが乗るエレベーターがうめく中、提案した。
「どちらで?」
「どこででも」
「レバーから手をお放しください」とエレベーターボーイが鋭い口調で言った。
「失礼」とミスター・マッキーは威厳をもって受け答える。「触っているとは思いもしなかった」
「かまいませんよ」とぼくは言った。「そのときはぜひ」
 ……ぼくはかれのベッドのそばに立ち、かれは下着姿でシーツの上に身を起こし、分厚《ぶあつ》い写真集を両手で広げていた。
「『美女と野獣』……『孤独』……『オールド・グロッサリー・ホース』……『ブルックン・ブリッジ』……」
 いつのまにか、ぼくはペンシルベニア駅の寒い地階に寝転がっていて、『トリビューン』の朝刊をうとうとながめながら、四時の列車を待っていた。
 
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