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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter5-2

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
 調整のすえ決まったその日の天気はどしゃぶりだった。
十一時、レインコートを着、芝刈り器を引きずった男がぼくの家の玄関をノックした。ミスター・ギャツビーに言われて芝生を刈りにきたということだった。
そのとき、ぼくのフィンランド人家政婦にあとでまた出てくるように言っておき忘れていたのを思いだし、ウェスト・エッグ・ビレッジに車を走らせ、雨に濡れそぼつ漆喰《しっくい》の横丁を駈けまわって彼女を探し、それからカップとレモンと花を買って帰った。
 花は必要なかった。二時になるとギャツビーの家から温室ごと花が到着したからだ。花を飾る器も数えきれないほど届いた。
一時間後、ひどく神経質にドアをノックする音がして、ギャツビーが飛びこんできた。白いフランネルのスーツ、シルバーのシャツ、金色のネクタイ。
顔は真っ青で、目元には不眠がもたらした黒い隈ができている。
「準備は万全ですか?」とかれはだしぬけに尋ねた。
「草のことなら見違えるようですよ」
「何の草が?」と当惑した顔で言ったあと「あ、お庭のことですね」と続け、
窓の外に目を向けたけれど、あの態度からして、実際にはなにひとつ見ていなかったのだと思う。
「結構ですね」とかれは曖昧に言った。
「どこかの新聞が雨は四時ごろにあがると予想しておりましたよ。
『ジャーナル』だったように思います。
必要なものはみな揃いましたか? お茶会という形にですね」
 ぼくにつれられて食料品室に入ったかれは、そこで会ったフィンランド人の家政婦に、これはちょっと芳しくないと言いたげな目を向けた。
ぼくらは一緒に、デリカテッセンから買ってきた十二個のレモンケーキを念入りに調べた。
「これでかまいませんよね?」とぼく。
「勿論、勿論です! 立派なものですとも!」それからうつろに言い足す。「……尊公」
 雨は三時三十分ごろにじめじめした霧に変わって、時折その霧の中に、露のような小雨が降った。
ギャツビーはうつろな目つきで、キッチンの床を揺らす家政婦の足音にはっとしながら、クレイの『経済学』に目を通していたが、ときどき、霞みがかった窓の外を覗きこんだ。目に見えない恐ろしいハプニングがそこで起きているとでもいうように。
やがてかれは立ちあがり、聞き取りにくい声で、家に帰ると言い出した。
「どうしてです?」
「だれもお茶にはきませんよ。もうこんな時間ですもの!」
どこか別の場所に差し迫った用事があるみたいなようすで自分の時計を見た。
「一日中は待っておれません」
「馬鹿言わないでください、まだ四時二分前じゃないですか」
 まるでぼくに突き飛ばされたように、かれは椅子にへたりこんだ。それと同時に、表車道からエンジン音が響いてきた。
ぼくらは二人とも飛びあがった。ちょっと悩んだけれど、ぼくは庭に出て出迎えることにした。
 ぽたぽたと水滴を降すライラックの木々の下をくぐりぬけながら、一台のオープンカーがこちらに向かってきている。
停車。
デイジーが顔をすこし傾け、うっとりするような明るい笑顔を浮かべて、三つ折り帽子の下からぼくを見つめた。
「ねえニック、ここが本当にあなたの住んでるところなのね?」
 デイジーの声は、雨の中、天然の酒となって爽快《そうかい》な波紋を起こした。
ぼくは一瞬、全身を耳にして、その響きを追って昂《たか》ぶり、鎮《しず》まり、それからようやく単語を認識した。
湿り気を帯びた彼女の髪がひとふさ、青い絵の具で一筆されたダッシュ記号みたいな格好で頬にはりついていた。きらめく雨露に濡れたその手を取って、車から降りるデイジーを支えてやる。
「あなた、わたしに恋でもしちゃったの?」と低い声でぼくの耳にささやきかける。「じゃなきゃ、なんでひとりでこいなんて言うわけ?」
「ラクレント城の秘密でございましてね。
運転手にどこか遠くで一時間ほど潰してくるように言ってやってくれ」
「一時間したらもどってくるのよ、ファーディー」それからまじめくさったささやき。「運転手の名前、ファーディーっていうの」
「かれの鼻はガソリンにやられるのかな?」
「まさか」とあどけなく言う。「どうして?」
 ぼくらは中に入った。ぼくは唖然《あぜん》とした。リビングは無人だったのだ。
「あれ、こいつは変だな」とぼくは大声をあげた。
「変ってなにが?」
 玄関を軽くゆったりとノックする音に、デイジーは首だけ振りかえった。
ぼくは出ていって玄関を開けた。
そこに死人みたいな顔色をしたギャツビーが、両手を重りみたいにコートのポケットに突っこんで立っていて、かれの足元の水たまりがぎらぎらと放つ光に、ぼくは、悲劇の影を見たように思う。
 両手をコートのポケットに突っこんだそのままの姿勢で、ギャツビーは、ぼくの横をすりぬけてホールに入り、マリオネットのようにがくっと向きを変え、リビングに消えた。
それがちっとも変ではなかった。
ぼくは自分の心臓が激しく鼓動するのを感じながら、ふたたび勢いを増してきた雨を前に玄関を閉ざした。
 三十秒ほど、まったくなんの物音もしなかった。
そして、居間から喉を詰まらせたような囁きと断片的な笑いが聞こえてきて、デイジーのあきらかに作った声がそれに続いた。「わたしほんとにもう嬉しくて嬉しくて。またあなたに会えるなんて」
 間。それが恐くなるほど続く。
ぼくはホールにいても手持ち無沙汰ということで室内に入った。
 
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha
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