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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー
Chapter7-1
Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
ちょうどギャツビーへの好奇心が最高潮に達したころの土曜日、夜になってもかれの邸宅には明りを灯される気配がなかった――そして、かれの饗宴王《トリマルキオ》としてのキャリアは、始まりと同様、よくわからないままに終わりを告げたのだ。
期待もあらわにギャツビー邸の私道へと入りこんでくる自動車が、ほんの少し留まっただけで、すねたように走り去っていくのに、徐々にではあれ、ぼくは気づきはじめた。
病気かと思って、ぼくはギャツビーに会いに行ってみた――ドアからは、人相の悪い、見なれない執事が疑るようなようすで出てきた。
「いいや」しばらくして、遅まきながらの「そうではございません」を面倒くさそうに付け加える。
「ここしばらくお見かけしませんでしたのでね、ちょっと心配しているんです。
ぼくのところのフィンランド人家政婦から聞いたところでは、ギャツビーは一週間前にそれまでの使用人全員に暇を出し、代わりに、六人ほどを雇い入れたらしい。かれらは業者に買収されるといけないというのでウェスト・エッグ・ビレッジに出たことがなく、必要最低限の品物を電話で注文しているとのことだ。
食料品店の使い走りはキッチンが豚小屋のようになっていると報じ、また、村落では、新しい面々はまったく使用人などではないのだという意見が広く流布《るふ》していた。
「ゴシップを流さないような使用人が欲しかったのです。
あの隊商宿《キャラバンサリー》全体が、デイジーの瞳に宿っていた否定的な想いを受けて、カードの家のように崩壊したというわけだ。
「ウルフシェイムがどうにかしてやりたいと思っている人たちでしてね。
みなさん兄弟姉妹なのです。前は小さなホテルを経営していました」
かれが電話してきたのはデイジーに頼まれてのことだった――明日、ランチをご一緒にどうですか?
それから三十分後、デイジーからも電話があり、ぼくがくるつもりだと知ってほっとしたようだった。
それでもぼくは、かれらがこんな機会を選んで一悶着《ひともんちゃく》起こすつもりだとは思えなかった――とりわけ、先日、ギャツビーが庭で見せた痛ましくさえあるような想いのたけをぶちまけるなどということはありえまいとぼくは思っていた。
翌日は焦げるような暑さで、この夏のほぼ最後にして、間違いなく最高に暑い一日だった。
ぼくを乗せた列車がトンネルを抜け陽光の下に踊り出ると、昼時の煮えたぎるような静寂《せいじゃく》をうち破るものはといえば、ナショナル・ビスケット・カンパニーのサイレンの音ばかり。
藁《わら》の詰まった座席はいまにも燃えあがりそうだ。ぼくの隣に座っていた女性は、しばらくの間、白いブラウスにだけ汗をにじませていたが、やがて、彼女が手にしていた新聞までもが指のところから湿ってきた。絶望したようなようすで猛暑に屈し果て、つらそうに悲鳴をあげる。
ぼくはうんざりしたように身をかがめ、拾いあげ、彼女に手渡した。腕をいっぱいに伸ばし、札入れの隅と隅とに指先をかけて。そうすることで、他意のないことを示そうとしたのだ――けれども、近くにいた連中はみな、その女性を含めて、一様にぼくのことを疑っていた。
「なんて天気だ!……暑いですねえ!……暑いですねえ!……暑いですねえ!……暑いとお思いになりません?……暑いでしょう?……ねえ……?」
かれの手からぼくのもとにもどってきた定期券には、指の跡が黒々と残っていた。
この暑さだもの、かれの口づけを己の血の通う唇に受けたがる者、かれの胸に己の頭を預け、かれのパジャマのポケットに汗をにじませたがる者などいるものか!
……ブキャナン家のホールを吹き抜けてきた微風《そよかぜ》に乗って、ドアの前で待っていたぼくとギャツビーのところまで、電話のベルが聞こえてきた。
「お車のボディ!」と執事が送話口にがなりたてている。
「申し訳ありませんが奥様、私どもには手入れしかねてございます──今日の暑さではとてもではありませんが手も触れかねる次第で!」
かれの本当の発言は、こうだ。「左様です……左様です……かしこまりました」
受話器を置くと、汗ばんだ顔を若干てらつかせながら、ぼくらのところにやってきて、ぼくらから固い麦藁帽子《むぎわらぼうし》を受け取った。
「奥様は客間でお待ちです!」と叫ぶと、不必要にも、客間の方向を指し示した。
こうも暑いと、余計な身振りなど、人並みに生命力をたたえている人間にとっては侮辱《ぶじょく》にも等しい。
窓の日よけが程よく室内に影を作っているその部屋は、暗く、涼しかった。
巨大な寝椅子に寝そべっているデイジーとジョーダンは、まるで銀の偶像のようで、ぶんぶんと小気味よい音を立てる扇風機が起こす風ではためく、自分たちの白い服を抑えこんでいた。
ジョーダンは、日に焼けた肌を上塗りするように白粉《おしろい》をはたかれた指先を、しばらくぼくの指に預けていた。
「で、かのアスリート、ミスター・トーマス・ブキャナンは?」とぼくは訊ねた。
と、かれの、無愛想な、くぐもったしわがれ声が、ホールの電話のところから聞こえてきた。
ギャツビーは、深紅《しんく》の絨毯《じゅうたん》の真中に立って、魅入られたような眼差しであたりを見まわした。
そんなかれを眺めていたデイジーが笑い声を上げた。甘やかな、心を湧き立たせるような笑い声を。と、その胸元から白粉の粉がほうっと立ち昇った。
「噂では」とジョーダンが言う。「いま電話の向こうにいるのがトムの女なんだって」
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha