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Episode-6 Bartleby(1) バートルビー
Episode-6 Bartleby (Herman Melville) バートルビー (ハーマン・メルビル)
AMERICAN SHORT STORIES
「アメリカの声」が,特別英語によるアメリカの短編小説をお送りします.
きょうの小説は,アメリカの最も有名な作家の一人であるハーマン・メルビルが書いたものです.
私は年老いた弁護士です.私のところには使用人が3人います.
業務がどんどん増えていくもんですから,法律関係の書類を書く仕事を手伝ってもらおうと思って,もう一人増やすことにしました.
私は,これまでにもずいぶん大勢の人と知り合っていますが,今回私の広告に応募した男ほど奇妙な男に会ったのは,これが初めてです.このような男のことは,話に聞いたこともありません.
彼は私の事務室の外に立って,私が話しかけるのを待っていました.
彼は小柄な物静かな男で,着ている背広はよく手入れはしてあるが,古いものでした.
私は,2,3の質問をしてから,雇い入れてもよいと彼に伝えました.
初めのうち,バートルビーは私が与える法律関係の書類を書くのに,過労になりはしないかと思うくらいに,一生懸命に働きました.
彼は日中は昼間の光で働きつづけたうえ,夜になるとろうそくの火で仕事をしていたのです.
私は彼の仕事には満足していたのですが,このような仕事のやり方については,好ましいことではないと考えていたのです.
彼がもし快活な性分だったら,私はもっともっと彼が気に入っていただろうと思います.
ところが,彼は機械のようによく働くのですが,よそ見をしたり話したりすることは,全くなかったのです.
ある日のこと,私はバートルビーに私の事務室まで来て,法律関係の書類を私と一緒に調べてくれるように言いました.
バートルビーは自分のいすから動こうともせず,こう言うのです.「私は気がすすまないんです」
私はしばらくの間,あまりの驚きに虚を突かれて,じっと座っていましたが,
ぼくは,きみにこの書類を手伝ってもらいたいと思ってるんだがね」
ところがその時電話が鳴ったので,私はしばらくの間このことを忘れてしまっていました.
これらの書類は綿密に調べる必要がありましたので,私はそれぞれの従業員に1通ずつ書類を与えることにしました.
「バートルビー,早くしてくれないか.待ってるんだよ」
彼は「気がすすまないんです」と言い置くと,回れ右をして自分の机にもどっていきました.
私はほかの連中を見渡しましたが,なんと言ってよいものやら,見当がつきませんでした.
バートルビーには,私を恐怖でぞっとさせるようなところがあると同時に,同情を起こさせるようなところがあったのです.
そのうち,私はバートルビーが全然外へ食事に出かけないということを知りました.
毎朝11時に,従業員の一人が,バートルビーのところへしょうが入りのケーキを持ってきてやるのです.
「ははあーん,彼はしょうが入りのケーキを食って生きてるんだな」私は考えました.「かわいそうに!
彼はよく働くし,何事においても私に対して逆らうような人間ではないはずだ.
ときたま少々ばかげていることもあるが,私にとってはよく間に合う男だ」
あまりのショックに,私はどう考えていいものやらわからなくなり,私の事務室へ歩いてもどりました.
さてと‥.当面の問題というのはこういうことなんだな‥.私のところの従業員の一人で,バートルビーという男が,私の言うとおりに仕事をしないことがある,ということだ.
彼は自分の仕事も十分調べることもしないし,ちょっとした用事を頼まれても,それをしようとはしないだろう.
しかし,彼のことで一つ重要なことは,彼はいつも自分の事務室にいるということだ.
ある日曜日,私は仕事をしようと思って,事務所へ行きました.
ドアにキーを差し込んだのですが,ドアが開きません.
私はちょっぴり意外に思って立っていたのですが,やがて中にだれかいるのかもしれないと思って,呼んでみました.
彼は自分の事務室から出てきましたが,私を中へ入れたくないと言うのです.
バートルビーが,私の法律事務所に住んでいる.私はこう考えただけでも妙な気持ちになって,怒鳴られた犬がしっぽを巻いて立ち去るように,その場からすごすごと立ち去りました.
バートルビーが私の事務所に女性をかくまっているなどとは,私は片時も疑ってもみませんでした.
しかし,ここしばらくの間彼がそこで食事をし,着替えをし,寝ていたことは確かなのです.
バートルビーはどんなに孤独で寂しかったことでしょう.
「バートルビー,どんなことからでもいいから,きみのことを聞かせてくれないかね」
私は彼と一緒に座って,言いました.「何も,きみの過去について話してくれと言ってるんじゃないんだよ.ただ,その書類を書き上げたら‥.」
「私はもう書くのはやめることにしたのです」彼はこう言って私の事務室を出ました.
Reproduced by the courtesy of the Voice of America