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Albert Einstein(2) アルバート・アインシュタイン


Albert Einstein アルバート・アインシュタイン
AMERICAN MEN of SCIENCE and INVENTION
戦後のドイツでは、アインシュタインに数々の栄誉が与えられた。
彼は、カイザー・ウィルへルム大学で理論物理学部長になるよう説得された。
1921年には、ノーベル物理学賞を受賞した。
プロシアは、彼を名誉市民にした。
ポツダムでは、宇宙物理学大学にアインシュタイン・タワーを建てた。
ベルリンは、1929年、彼の50歳の誕生日を公に祝った。
内気なアインシュタインは出席しなかったが、お祝いのカード、手紙、電報などがつまったかごをいくつも受け取った。
彼に寄せられた贈り物は、鉄道の貨車をいっぱいにするほどだった。
アインシュタインの才能をだれもが評価したというのは、驚くべきことだった。
もちろん知識人は、彼の価値を知っていた。
当時、ある科学者は、このように言った。「アインシュタインがやっているようなことを抽象理論の分野で行える見込みは、非常に低い。
しかし、彼はこのような見込みを、すでに2回か3回克服している。
もし、ほとんどの物理学者が解けないと思っている問題を解くことを望む権利を、だれかが持っているとしたら、それは彼である。
彼は、ほんとうに想像力と独創力に富んでいる。
そして彼は、われわれにとって変に思える考えでも、自分が正しいと思ったならば、絶対それを守るだけのがんこさを持ち合わせている。
もし、彼がこれらの性質を持ち合わせていなかったら、彼が成し遂げたことをやるのはむりで、彼がやろうとしていることに成功もできないだろう。」
アインシュタインが科学と歴史に与えたような功積を成し遂げた人は、ほんの少ししかいないだろう。
あるアメリカの大学学長が、1929年に言った。「アインシュタインは、宇宙について新しい見解、考察を生み出した。
標準的な頭で、時間や空間などの正体をつかめるようになるまでは、何世代もかかるかもしれないが、今やどんな人でも、宇宙がこれまで考えられていたよりも、はるかに大きく奔放なものであることは理解できるのです。」
4年後、ドイツでは、アドルフ・ヒットラーが権力を握った。
彼やナチは知識人を憎んだ。
彼らはまたユダヤ人を憎み、攻撃を始めた。
時、空間、政治を越えた問題を考えたかっただけのアルバート・アインシュタインにすら、なんの敬意も払われなかった。
彼は、科学アカデミーから追放され、家は、武器の有無を確かめるため捜索され、教授の職を失い、財産は、ベルリン市からの贈り物であった家までも取り上げられ、最後にドイツの市民権まで取られた。
彼には、国がなくなってしまったのである。
ドイツから逃げたアインシュタインは、まずフランス、そしてベルギー、イギリスへ行った。
そこで、彼はアメリカへ招待された。
ニュージャージー州、プリンストンの高等学研究所は彼に永久的な教授の席を申し出た。
彼はそれを引き受けたが、あまりにも少額の給料を求めたため、大学側で、基準を保つために値上げした。
このような行動は、アインシュタインにとっては、いつものことだった。
彼は、たいへん裕福になれたのにもかかわらず、お金には、なんの関心も示さなかった。
ある時、1分間1,000ドルというラジオの出演依頼を断った。
また、ある時には、ロックフェラー財団から送られた1,500ドルの小切手を、しおりがわりに使っていた。
そして、本をなくしてしまった。
1940年、アインシュタインはアメリカの市民になった。
この国についてインタビューを申し込まれた時、彼は記者に答えた。「7年前、私がなぜドイツを去ったかたずねられた時、こう答えました。『私が選択できる限りは、政治的自由、寛容、法の前における人々の平等がある国にしか住みません。
政治的自由とは、政治的意見を、口頭で、そして書き物で表すことができ、すべての意見を寛容をもって尊敬することである。』」
アインシュタインは、残りの生涯をアメリカで過ごした。
多くの数学者と同じように、アインシュタインは、音楽を愛し、並よりもうまいバイオリニストであった。
彼は、プリンストンで静かに暮らし、大学で研究を続けて、飾り気のない家で、バイオリンを楽しんだ。
時には、訪問者がいた。例えば、学校の帰りに彼を訪ねることが、しばらくの間習慣になった12歳の女の子がそうである。
当惑した彼女の母親はとうとうアインシュタイン博士に会って、彼が娘となんの話をしたのかたずねた。
博士は微笑を浮かべて説明した。「ああ、彼女がクッキーを持ってきてくれて、私が彼女の算数の宿題をやってやるんだ。」
1955年、アインシュタインの一生は、76歳で平和に終わった。
しかし今日人々は皆、この飾り気のない天才が、彼の才能と心を同胞に提供したため、変わった世界に住んでいる。
彼は征服したり破壊するためでなく、理解するために生きたのである。
 
Reproduced by the courtesy of the Voice of America
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