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Emily Dickinson(2) エミリー・ディキンソン
Emily Dickinson エミリー・ディキンソン
DISTINGUISHED AMERICAN SERIES
彼女はこれと同じ考えを、次の節で始まる、これよりはるかに長い詩の中で述べています。
そして、人生はあそこにあるのです。あの戸だなのうしろに、
この詩は作者が自分に与えられた、絶望的な状態を受け入れるところで終わっています。
そしてあの色あせた生活、つまり絶望にほかならないのです。
エミリー・ディキンソンは恋愛詩のほとんどすべてを、ウォズワースと知り合ってから数年の間に書いています。
これらの詩の基調を成している、もう二度と恋などしたくないという気持ちは、彼女の書いた次の最も有名な12行の詩に、よく表れています。
何人といえども、さしでがましく立ち入ることは許されないのです。
魂は、落ちぶれた門前に、壮麗な馬車が止まっても、もう動揺することはありません。
皇帝がくつぬぐいの上にひざまづいても、魂はもう動揺することはないのです。
私は魂が国中の人々の中から、ただひとり選ぶのを知っています。
そしてそのあとは、思いやりのとびらを閉じてしまうのを、私は知っているのです。
エミリー・ディキンソンのこれらの詩ほど感情を抑制した詩は、それまでのアメリカの詩の中には見当たりません。
彼女の詩は詩想といい、風変わりな詩形といい、すべての点で独創的です。
彼女はことば少なにわずかの行数で、最大の量の感情を表すことができたのです。
"彼女は絶えず筆をとりつづけましたが、何ひとつ公表しませんでした。
彼女はどこにでも詩を書くくせがありました。裏返した封筒でも、茶色い買い物袋でも、手元にあるものなら、なんにでも片っぱしから書きました。
彼女は時折、詩を書いた紙を結わえて小さな包みにし、それを隠しておくのでした。
彼女の死後、彼女の妹は900編以上の詩を発見しました。
その後も発見されたものを加えると、実に総数1,775編に及びました。
エミリーの隣人の一人と、文学の第一人者であるトーマス・ウェントワース・ヒギンソンは、115編の詩を選んで、ディキンソンの最初の詩集として出版しました。
その1年後、1891年には、176編の詩を収めた2冊目の詩集が出版されました。
しかし、全詩集が出たのは、彼女の死後70年近くたった、1955年のことでした。
権威ある文学研究者たちの定説によると、エミリー・ディキンソンは、1862年の1年間で、350編以上の詩を書いています。
1883年、エミリー・ディキンソンは健康を害し始めました。
そして、ついに危篤状態に陥り、1886年5月15日に、彼女が生まれた家で世を去りました。"
エミリー・ディキンソンの作品は、どれをとっても独創的なものばかりですが、決してすべての詩が完璧な作品だったというわけではありません。
彼女があまりにも激しい衝動にかられたため-おそらくは、りこうすぎたために-詩のことばを十分切りつめることができなかったものもあるのです。
しかし、彼女の詩の大半は、その想像力にかけては強い感動を与えます。
彼女は人生、愛、自然、永遠について書いていますが、そこに用いていることばは、彼女自身の観察と想像を、豊かな感受性でまとめあげています。
そこには彼女のイマジネーションが見られます。列車を巨大なねこに見たて、「何マイルもべろべろとなめて進み、渓谷をしゃぶるようになめつくし」、あらしが激しくなって「あえぐ木木の見知らぬ群衆」の気持ちを扇動するのを見ることができ、夕暮れを「西部の主婦がいろんな色のほうきで」空をはき、あとに「わずかな断片」を残し、へびに出会った時のぞっとする恐ろしさを、「骨がなくなってしまう」といった具合に彼女の想像力は働くのです。
彼女はわずか8行の中に、いとしい人が死の恐怖に脅かされながらじっと耐え忍び、望みを捨てずにいる気持ちを、凝縮してみせることができたのです。
極楽までの道程は、すぐ隣の部屋ほどしかないのです。
もしもその部屋で、一人の友人が、神の恵みか、最後の審判か、そのいずれかがやがて訪れるのを待ち受けているのなら。
その魂は、なんと不屈の精神を持っているのでしょう。
こんなにも、じっと耐えていられるとは。近づく足音の高鳴りを、
単純だが力強く歌い上げた、もう一つの8行詩は、たいへん暗示に富んだものです。
でも私には、それがどこにあるのかちゃんとわかっているのです。
エミリー・ディキンソンの心は、彼女が自らの孤独と静かに戦った、彼女の作品の私的な世界の中に反映されています。
次の深く考えさせられる詩の中で、彼女自身が最も優れた表現力をもって述べているのは、葛藤(かっとう)です。
エミリー・ディキンソンのインスピレーションの直接の源は、彼女が最も深く愛した連想ですが、彼女はこの連想にたいへん不思議な力のあることを知っていました。
まず彼女の頭に浮かぶのは、自然が持っているふん囲気や動植物といった、彼女の身の回りの世界でした。
そして、これと同じく重要だったのは、彼女がいつ死が奪い去るかもしれないことを知っていた、友人たちでした。
したがって、彼女のすべての思想の背後には、永遠を保証してくれるものが必要だったのです。
私は立ち止まって、「死」を待つことができなかったので、
「死」のほうが快く立ち止まって、私を迎えてくれました。
私たちはゆっくりと馬車を走らせました。彼は急ぐことを知りませんし、
私はもうこの世の仕事も余暇も、もうとっくに捨て去っていました。
私たちは、子どもたちが輪になって、取り組み合って遊んでいる学校を通り過ぎました。
私たちは、通りがかりにかさかさと音を立てる穀物の畑を通り過ぎました。
私たちは大地が盛り上がったように見える家の前で、ちょっと立ち止まりました。
それから何世紀もたったというのに、1世紀がまるで1日よりも短いかのようです。
私が初め、馬の頭が永遠のほうに向かっていると推測した、あの1日よりも。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America