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Henry David Thoreau(1) ヘンリー・デービッド・ソロー
Henry David Thoreau ヘンリー・デービッド・ソロー
DISTINGUISHED AMERICAN SERIES
ヘンリー・デービッド・ソローは、彼と同時代の人々の大半を当惑させました。
直接にしろ間接にしろ彼のことを知っていた人々は、彼を一風変わった男だと思っていました。
そういった人たちは、彼のことを社会に役立つ人間ではないと考えていたのです。
彼らの言うところによると、彼は理性よりも衝動に基づいて行動しましたし、彼が考える時は、感情で考えていたというのです。
ソローは町の出来事よりもどちらかというと、森や野のことに没頭していたため、ある批評家は彼に、伝統的な「文学士」の称号の代わりに、「自然学士」という称号を与えました。
この「自然学士」という半分ふざけたような称号は、二重の意味で彼にはふさわしかったのです。なぜならば、彼は一度も結婚したことがなかったからです。((訳者注:bachelorには「独身の男」という意味もある))
彼は20歳を過ぎたばかりのころ、代々裁判官や牧師を出していた、古い家柄の子孫に当たる若い女性と、婚約をしたことがあります。しかし、その女性の家族の人たちは、彼はあまりにも型にはまらない変わった人物だと考えました。
婚約はたちまち破談となり、ソローはそれ以来全生涯を独身で過ごすことになったのです。
ソローの生涯は短い生涯でしたが、たいへん独創的でした。
彼の独創性はものの考え方に表れているばかりでなく、自分の考えをことばで表す時の表現にも表れています。
次に紹介するほんのいくつかの文にも、彼の個性的特徴がいくらかうかがわれます。
これらの鋭く明解な文には、ソローの典型的な考えが表れています。
大半の人々は静かな自暴自棄の生涯を送っているのです。
あきらめというのは、通常より確固たる自暴自棄をさして言うのである。
われわれの人生は、こまごまとした事柄のために、浪費されている……簡素化しよう、そう、簡素化するのだ!
人格の種まき時がなくて、どうして思索の収獲を期待することができようか。
真理を口にするには2人が必要である-一人は話し手、もう一人は聞き手。
ソローは1817年7月12日に、マサチューセッツ州のコンコードの町で生まれました。
コンコードというのは調和と平和的関係という意味をもったことばですが、ソローはこのコンコードという地名の着想と、この町の周囲を取り巻く田舎が、すっかり気に入ってしまったのです。
彼には旅行をする必要もなければ、旅行をしたいという願望もありませんでした。
彼は言いました。「ぼくはコンコードの裏口のそばの、りんごの木の下に、いつまでも座っていられたら、もう何も言うことはない。」
ソローの家族の人たちも思いは同じでした。彼らはほんの数エーカーの土地に、互いに寄り添うように生活していたのです。
当時のニューイングランドは、手工業の時代でしたので、ソロー一家は家内工業の鉛筆の製造業で生計を立てていました。
ソローは鉛筆製造のかたわら、農夫としても働きました。
自然界を愛した彼は、すべての生き物と、すべての雑草をつぶさに観察しました。
彼の自然観察者としての訓練は、彼が牛を牧草地へ追っていったり、乳しぼりの時間に連れもどしたりしていた時に、知らず知らずのうちに始まりました。
彼は12歳にもならないうちに、たいへん多くのことを独習していましたので、あの有名な博物学者で先生のルイ・アガシーのために、いろんな種類の植物を採集することができました。
ソローはコンコードの学校に通うことが気に入っていましたが、それは教室で習うことにもまして、学校の校外見学で習うことがおもしろかったからです。
ソローが『ジャーナル(日誌)』を書き始めたのは、彼が17歳の時ですが、その後、彼は死ぬまで、この日誌に自分の思索の跡を書きとどめました。
彼は飾り気のない文体で書いたので、彼の文体を「野生のりんごのような文体」と呼んだ人がいます。
彼は、はなはだ抜け目がなく、ほかの人々が十分用心している時にも、彼らをかき回してやろうと願っているかのように書いたのです。
次にあげるわずかな例の中にも、彼の着想の効果がどんなものであったか、ある程度わかるでしょう。われわれはどうしてそのようにむやみに成功を急がなければならないのか。-しかも、このような到底よくなる見込みのない事業だというのに。
ベルが鳴るのなら、なぜわれわれが走らなければならないというのだ。
一つの世代はほかの世代の企てを、座礁(ざしょう)した船のように捨て去ってしまう。
いつも健康で暮らすためには、人間と自然との関係が、人と人との付き合いのようにならなくてはならない。
人間が自然の中に親しみを見いだすことが必要である。
自然がわれわれに共鳴し、話しかけてこない限り、どんなに肥沃(ひよく)で生気にあふれた土地であっても、ただの不毛で無味乾燥な土地と同じである。
私は不毛の地中からトウモロコシやジャガイモが引き出される作用を、たいしたことだとは思わない。それよりも、私は、いかなる地上においても、人間の生活から思想や感情を引き出すことのできる分析過程を高く評価する。
季節のことを口にしたって、きみ自身の中に季節がなければ、なんにもならない。
ソローは20歳でハーバード大学を卒業し、職を求めました。
彼はときたま講演をしたり、わずかながら詩を書いたり、そしてこれらが活字になるのを見て満足していました。
彼は数学、ギリシア語、ラテン語、フランス語などを教えましたが、彼にとって最も楽しかった仕事は校外見学でした。そこでは、彼は塾の生徒の幾人かに、自分の自然に対する熱情を伝えることができたからです。
彼の兄ジョンが結核(のちにソローの生命を奪うことになる病気)に侵され、ソローは、自分ひとりでは塾をやっていくことはできなかったのです。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America