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Episode-20 Philadelphia Lawyer
Episode-20 Philadelphia Lawyer
WORDS AND THEIR STORIES
どのようにしてアメリカ英語に入って来たのだろうか。
よく、ほめるのに、フィラデルフィアの弁護士のように利口だといってきた。
だれもなぜフィラデルフィアの弁護士でなければならないのかは知らないが、「フィラデルフィアの弁護士のように利口だ」という表現は、ある有名な裁判から始まったらしい。18世紀初めのことである。
イギリス人ウイリアム・S・コズビーがニューヨークに到着したのは、植民地の総督としてであった。
彼は、手早く金をもうけることしか考えず、植民地を治めるのに、法律や人々の権利を考えなかった。
彼の支配に反対した人々の中に、ジョン・ピーター・ゼンガーがいた。ドイツからアメリカへ来た人である。
ゼンガー氏は新聞を始め、紙上で自由を賞賛し、総督を厳しく批判した。
彼は、また詩集も出版した。それらの詩は総督をからかったものだった。
コズビー総督はゼンガー氏を名誉毀損罪で逮捕し、9か月間刑務所に入れた。
ゼンガー氏はニューヨークでは、弁護してくれる弁護士を探すことができなかった。総督の権力が強いためである。
しかし、フィラデルフィアの一流の弁護士がゼンガー氏の弁護を引き受けてくれた。
彼の名はアンドリュー・ハミルトンで、白髪の80歳近い人だった。
裁判が始まり、陪審員が選ばれ、起訴状が読みあげられた。
当時、名誉き損罪の法律では、陪審員は被告人が起訴状であげられた新聞の発行者であるかどうかを決めるだけであった。
出版された記事が事実であるかどうかは、判事が決めることになっていた。
そこでフィラデルフィアの弁護士は立ち上がって、ゼンガー氏が確かにその新聞を発行したことを認めた。しかしハミルトン氏は続けた。「新聞を発行しても、その人は名誉き損罪には問われません」
その記事自体が確かにうそで、中傷であると証明されない限り、ゼンガー氏は無罪であると彼はいった。
判事はハミルトン氏に、判事が、記事が中傷的であるかないかを決定するのだと注意した。
ハミルトン氏は、すぐに陪審員の方を向き、彼らに決定するように頼んだ。
彼は、陪審員の権利とは、この申し立てられた名誉毀損が本当に事実であるかを決定することだといった。
陪審員への最終陳述で、ハミルトン氏は、この問題はゼンガー氏の問われている罪よりも、はるかに重大であるといった。
彼によると、この問題は自由および国民の権利の問題であり、真実をいったり書いたりすることによって、不正や暴虐に反対できるかどうかがかかっているのである。
しばらく討議したあと、陪審員がゼンガー氏の無罪を告げたので、喜びの声が法廷に響いた。
この決定は、アメリカの植民地での出版の自由の原則をアメリカの植民地で確立したのだ。
何年かのうちにゼンガー裁判の評判とハミルトン氏への賞賛は国中に広まった。
それで信じられたのは、「フィラデルフィアの弁護士のように利口である」という表現は、フィラデルフィアから来た男をたたえているということであり、彼こそが真実を活字にする出版の自由を守るのに成功したのである。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America