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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第二部 第三章 1

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
第三章 ジョン・フェリアと預言者の対話
 ジェファースン・ホープとその仲間たちがソルト・レイク・シティを去り、三週間経った。
ジョン・フェリアは悲しみに暮れていた。あの若者が帰ってきて、娘が自分の前からいなくなるのも、もうすぐのことだった。
だが娘の幸せで満ち足りた顔を見ると、反対する気持ちも失せてしまう。
いつも心の底では思っていたのだ、娘をモルモン教徒と結婚させてどうなるというのか、
そんなものは結婚でも何でもなく、ただ娘を辱める行為に他ならない。
他の教義は受け入れるにせよ、その一点だけはゆずれなかった。
だが口には出さなかった。近頃この聖徒の地において、異端の説を口にするのは、ひどく危険なことだからだ。
 そう、危険――あまりにも危険だった。どんなに敬虔な信者であっても、宗教上の意見は息を殺して小声で言わなければならないほどだった。さもなくば、ちょっと口を滑らせただけのことで誤解され、すみやかに罰の対象とされてしまう。
かつては迫害の被害者であった者たちが今や、自ら迫害者となっていた。
セビリャの宗教裁判所、ドイツのフェーメ裁判所、イタリアの秘密結社――どんな組織であったとしても、このユタの地を雲のように覆う秘密結社ほど戦慄させるものはないだろう。
 何もわからず、謎だらけであることが、この組織をいっそう恐ろしくしていた。
できないことはなく、姿も見えず、声も聞かれない。
教会にたてついた者は消え、その生死も何が起こったのかすらわからない。
妻子は家で帰りを待つが、父親はそこに帰って、自分がどう闇に消されたのかは告げることができない。
考えなくしゃべったり軽率に行動したりすると、もう命はない。人々を抑えつける、この恐ろしい力の正体は何なのか、誰も知らなかった。
たとえ荒野の真ん中にあったとしても、この地の人々は自らに重くのしかかる不安な気持ちをつぶやくことができない。それほどおののき、震え上がっているのだ。
 最初、この目に見えない恐ろしい力が振り下ろされたのは、秩序を乱す者だけだった。たとえば、モルモンの教義を奉じたのにもかかわらず、背教あるいは棄教しようとした者たちだ。
だがすぐさまその対象は広がった。
成人女性が無限にいるわけではないし、女性のいない一夫多妻など、なるほど不毛な教義に違いない。
すると、インディアンがいるはずのない場所で移民が殺された、キャンプがおそわれたというような、不穏な噂が聞こえるようになった。
時を同じくして年頃の女が長老たちのハーレムに見えるようになり、しかもその女たちの顔には涙が浮かび、ぬぐいきれない恐怖が見えるという。
山で遭難した旅人も、真っ暗な中、武装した覆面の一団が抜き足差し足、自分のそばを通っていったと騒ぎ立てる。
ほんの噂だったものがだんだん形をなしていき、人々は実在するのではないかと思い始め、最終的にはひとつの名前を与えられる。
今でも西部のはずれでは、ダナイト団もしくは誅天使団という名称は、不吉なもの、まがまがしいものとされている。
 このように恐怖を生み出すもととなった秘密結社のことについて、知れば知るほど恐怖は薄まるどころか、むしろ深まっていく。
だがこの情けを知らぬ組織の構成がどうなっているのかは、知る手だてがない。
信仰の名のもとに行われる流血と暴力、ここに誰が荷担しているか、いっこうに秘密のままであった。
昼間、預言者とその教えについて不思議に思うことを親友にしゃべったとしても、その親友が夜にはその一味となって銃と剣をもち、血で贖えと押し込んでくるかもしれないのだ。
それゆえに、人々は隣人すらもおそれ、自分の思うことはみんな心にしまい込むのだった。
 ある晴れた朝のこと、ジョン・フェリアが麦畑へ行って仕事を始めようとしたとき、表の戸の掛け金の外れる音を聞いた。窓越しにうかがうと、齢は中年、砂色の髪をした体格のよい男がこっちに向かっていたので、
心臓が飛び出そうになった。なぜなら、やってきた人物はこの地でもっとも力のある、ブリガム・ヤング師だったからだ。
フェリアは背筋が凍り付いた。師が来るというのは、何かよからぬことを告げるときだけだ。フェリアはあわてて表へ出、モルモンの指導者に挨拶をした。
だがヤングは挨拶を冷ややかに受け流し、いかめしい顔つきで応接間に案内された。
「兄弟フェリアよ、」と椅子に腰掛け、ヤングは明色のまつげの下からフェリアをにらみつけた。「真の信者はうぬに対して良き友人であった。
我々はうぬらが荒野で餓かつえ、死に瀕していたとき、うぬらを拾い上げた。食物を分け与えた。選ばれし谷まで無事に導いた。土地を十分に分け与えた。そして我々の保護下で蓄財するのを許した。
そうであろう?」
「仰せの通りです。」とジョン・フェリア。
「これらすべての見返りとして、我々が求めたのは、たったひとつの条件だけだ。つまるところ、真の信仰を得よ、とな。そしていかなることがあっても、この教えに従うこと。
うぬはこれをなすと誓った。だが、人々から聞くことを正しいとすれば、うぬはこれをゆるがせにしたという。」
「ゆるがせとはいったい何のことでしょう。」フェリアはわからぬという風に手を広げた。
「布施もしております、寺院にも行っております、いったい何が――」
「うぬの妻はどこにおる?」とヤングは見回した。
「呼び入れよ、挨拶しよう。」
「確かに、結婚はしておりません。
ですが、女性は少ないですし、私よりも強い結婚願望をお持ちの方は大勢いらっしゃいます。
私は孤独ではありませんし、慰めてくれる娘もおります。」
――ユタの華と呼ばれるまでになり、今や多くの者の目にとまっておる。この地の高き人々も含めての話だ。」
 ジョン・フェリアは、まさしくそのことが不満だった。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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