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The Return of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの帰還
The Adventure Of The Solitary Cyclist 孤独な自転車乗り 6
Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
夜通しの雨のあとの輝かしい朝、荒野の広がる田舎では、鮮やかなハリエニシダの咲く茂みがあり、ロンドンのくすんだ黄や茶や灰といった色にうんざりした目には、いっそう美しく見えた。
ホームズと私は砂が多く広い道を歩きながら、新鮮な朝の空気を吸い込み、小鳥の音楽や春の息吹を楽しむ。
クルックスベリの丘の肩あたり、道の盛り上がったところからは、おどろおどろしい館が取り囲む楢の老木から突き出しているのが見て取れる。とはいえ、林よりもただなかの建物の方が古いわけであるが。
ホームズが長い道の方を指さすと、荒れ地の茶と林の新緑のあいだに延びる山吹色の筋の
遠く向こうから、黒い点がこちらの方角へ進んでくるのがわかった。
あれが馬車だとすると、彼女は一本早めの列車に乗るということか。
このままではワトソン、どうやら僕らが彼女の元へ行くより先にチャーリントンへ差し掛かってしまう。」
上り坂を越えてからはもう乗り物も見えなくなったが、我々は前へ急いだ。駆け足で、日頃の運動不足を思い知らされ、後れをとらざるを得なかった。
ところがホームズは軽やかだ。持久力が並々ならず無尽蔵にあるからだ。
その軽快な足取りはそのまま続いたが、ふと私の一〇〇ヤード前方で立ち止まり、無念とばかりに手を上げて振り回す。
同時に無人の車をつれた馬が手綱を引きずりながら道の角から現れ、がたごととこちらへ駆けてくる。
「手遅れだ、ワトソン、遅すぎた!」と叫ぶホームズのもとへ、私は息を切らせながら走り寄る。
「一本早い列車を考えておかないとは、僕はとんだたわけだ!
誘拐だ、ワトソン、誘拐だ! 殺人だ! いやまだだ!
さあ飛び乗って。僕のへまを取り返せるかひとつやってみよう。」
我々は二輪一頭の馬車に飛び込み、馬を回れ右させた。そのあと、ホームズが打ち鞭をぴしゃりと当てて、馬車に道をひたすら逆走させる。
角を曲がると、館と荒れ地に挟まれた道の全体が眼前に広がった。
頭をこごめ肩を丸め、持てる限りの力で踏板をこいでいた。
つとその鬚の顔を上げて、近づいてくる我々を見ると、自転車を止めて飛び降りる。
その漆黒の顎鬚は真っ青な顔から妙に目立っており、目は熱病にかかったごとくぎらついている。
その男は我々と馬車とをにらみつけ、やがてその顔に驚きの色が差す。
「おい! 止まれ!」男はそう叫んで、自転車で行く手を遮る。
「その馬車をどこから持ってきた? 止めるんだ、おい!」男はわめきながら、脇から拳銃を取り出す。「止めてくれ、頼む、さもなくば馬へ一発食らわすことになる。」
ホームズは私の膝に手綱を投げ出し、馬車から飛び降りた。
「ぜひ君に会いたかった。ヴァイオレット・スミス嬢の居場所は?」いつもの早口ではっきり告げる。
「こっちこそ聞きたい。彼女の馬車に乗ってるんなら、ご存じのはずだろ。」
「いや馬車は途中で遭ったが、なかには誰も。引き返させてご婦人を助けようと。」
「ああ! 主よ! どうすれば!」男は失意の底に沈んで叫ぶ。
「やつらの仕業だ、あの地獄の番犬ウッドリとごろつき坊主だ。
こっちだ、来てくれ。本当に彼女の知り合いなら、一緒になって彼女を助けよう。チャーリントンの林で死ぬ覚悟だ。」
男は拳銃を手にしたまま半狂乱で走り出し、藪の隙間に突き進んだ。
ホームズが後に続き、私も馬は道ばたで草でも食ませることにして、ホームズを追いかける。
「ここを抜けてきたんだ。」と男は泥道についた足跡を指し示す。
一七歳くらいの若者だった。馬番風の服装で、革のコーデュロイにゲートル。
仰向けに倒れたまま膝を曲げており、額をしたたかにやられている。
気を失っているだけで死んではいなかった。傷を一目見たところでは骨までは届いていないようだ。
「御者なんだ。けだものどもが引きずり下ろして、打ち据えたんだ。
このままに。今はどうしようもない。でも彼女は、今から降り懸かる最悪の運命から救えるかもしれない。」
我々は一心不乱に小道を駆け降り、木々のあいだを縫っていった。
館を取り囲む低木のあたりまで来ると、ホームズが立ち止まる。
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo