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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Yellow Face 黄色い顔 5

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「エフィ、一体、まあお前はどこへいって来たんだい?」 私は彼女が部屋に這入って来ると訊ねました。
 と、彼女はビックリして、何か微かな叫び声のようなものをあげました。その叫び声と驚き方とは、いよいよ私の心の疑いを深めました。なぜならそれらは、そこに何か曰くがありそうに思えたからです。
――元来私の妻は不断から隠しごとの出来ない明けっ放しな性質の女なんです。それなのにその時に限って彼女はこっそり自分の部屋に逃げ込もうとして、自分自身の亭主に声をかけられると、アッと驚いて、おずおずと怖がっているのを見ては私はだまってはいられませんでした。
――がやがて彼女は「まあ、あなた起きてらしったの? ジャック」 と、苦しげに笑いを浮べながら云いました。
「おやすみなんだろうと思ったのよ」
「どこへいって来たの?」 と、私は少しけわしい声で訊ねてみました。
「ねえ、あなたびっくりなすったんでしょう」 と、彼女は申しました。彼女の手の指はぶるぶるふるえて、マントをとることも出来ないほどでした。
「私、こんなことを、今までにただの一度もした覚えはないわ。
私ね、咽喉がつまりそうな気がしたのよ。だから、しばらく外の空気を吸って来たの。
――私、外へ出て行かなければ、死んじまったのかもしれないと思うわ。
私、入口の所にしばらく立っていたの。でも、もう、すっかり大丈夫なの」
 彼女はそう云ってる間中、ただの一度も私をまともに見ようともせず、また彼女の声の調子は、不断とはまるきり違っておりました。
私には彼女が嘘をついてると云うことがはっきり分りました。
私は何も返事をしないで、壁のほうを向いたまま、どうしてやろうかと考えました。私の心は恐ろしい疑念や猜疑心で一ぱいでした。
――私の妻が私に隠していることはどんな事なんだろう。
そして一体さっきはどこへいって来たんだろう。
――私はそれらを確めるまでは、到底平和な気持ちになることは出来ないと思いました。けれどそのまま、二度と彼女に質問しようとはしませんでした。
そしてその夜は一晩中、私はそれらのことを確める方法を考えて、まんじりともせずに転輾反則しました。が、どの方法を考えてみても、結局、いそいでなじったりなどしないほうがよさそうでした。
 そうこうしているうちに夜があけましたが、その日、私は町へ行く手筈になっていたのです。しかし私の心はすっかり滅茶滅茶になっていて、到底商売上の取引などは出来そうにもありませんでした。
また私の妻も私と同じようにすっかり平静さをなくしているらしく見えました。私には、彼女が窺うようにチラッと私を見た目つきでそれが分ったのです。そして彼女はまた、彼女が前の晩した云いわけを私がちっとも信じていないと云うことを知っていて、どうにかしようと考えていることも、私にはよく分りました。
――私たちは朝飯の間一言も口をききませんでした。そして朝飯がすむとすぐ私は散歩に出かけました。私は朝の澄んだ空気の中で、昨夜からの事件を考え直してみようと思ったのです。
 私はクリスタル・パレス(ロンドンの南部にある遊覧所)の辺までも歩いていって、そこで一時間ばかり腰かけておりました。そして一時頃にノーブリーに帰って来ました。
――と、偶然に私は例の離れ家の前に出ました。私はしばらく立ち止って、前日私をじっと見詰めていた例の気味悪い顔を、もう一度見つけることが出来るかもしれないと思って、あの窓を見上げてみました。
するとどうです、ホームズさん、ふいにその家のドアが開かれて、中から私の妻が出て来たではありませんか。まあ、その時の私の驚き方を想像してみて下さい。
 私は驚きの余りものも云えませんでした。しかし私たちの視線が出会った時、彼女の顔に現れた驚きの表情は、私のより更に激しいものでした。
彼女は瞬間にちょっとまた家の中に逃げ込もうとするような様子を見せましたが、もう到底隠れることが出来ないのを知ると、私のほうへ近寄って来ました。彼女は蒼白な顔をし、恐怖に満ちた目をしていながら、唇の上には微笑を浮べておりました。
「まあ、ジャック、――私ね、今度いらしったお隣さんへ、何かお力になって上げられるようなことはないかと思って、伺った所だったのよ。
――まあ、なんだってそんなに私をご覧になるの、ジャック。何かおこってるの?」 と、彼女は申しました。
「そうか、昨夜、お前が来たのはここだろう?」 私は云いました。
「なんですって?」 彼女は声を高くしました。
「お前は来た。それは確かだ。
――一体、お前がそうやって一時間ばかり会いにやって来なければならない人間って、何者なんだ?」
「私、今ままでにここへ来たことなんかありませんわ」
「どうしてお前は私に嘘をつくんだ?」 と、私は怒鳴りました。
「お前のしゃべる声はまるで変ってるじゃないか。
お前は今までに、私に何かものをかくしていたことがあるか?
――よし、私はこの家の中へ這入ってって、徹底的に調べてやる!」
「いけません、ジャック、お願いですわ」
 彼女は夢中になって叫びました。そして私が入口に近寄って行くと、私の袖口にしがみついて、猛烈な力で引き戻しました。
「ねえジャック、お願いだからそんなことしないでちょうだい」 彼女は叫ぶように云うのでした。「その代り、いつかはきっと、何もかもみんなお話しするわ。私、誓ってよ。けれども何でもないのよ。――でも、今、この家の中へ這入って行くと不幸が起きて来るの」
 私は彼女を振り放そうとしましたが、彼女はまるで気違いのように嘆願しながら私に噛りつくのでした。
「ねえジャック、私を信じて!」 と、彼女は叫びました。
「今度だけでいいから、私を信じて。
――あとで悲しまなければならないような原因を作っちゃいけないわ。
――私、あなたのためでなければ、あなたに何もかくしたりなんかしやしないの。ね、それは分かって下さるでしょう。
私たちの命が、これにかけられてあるのよ。
けれどあなたが私とこのまま家へ帰って下されば、すべてはうまく行くの。
そうでなくて、もしあなたが無理にこの家の中へ這入っていらっしゃれば、もうそれまでなの」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
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