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坊っちゃん 五 Botchan Chapter V (1)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
君釣《つ》りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪《わ》るいように優しい声を出す男である。
おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。
あんまりないが、子供の時、小梅《こうめ》の釣堀《つりぼり》で鮒《ふな》を三匹《びき》釣った事がある。それから神楽坂《かぐらざか》の毘沙門《びしゃもん》の縁日《えんにち》で八寸ばかりの鯉《こい》を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜《お》しいと云《い》ったら、
赤シャツは顋《あご》を前の方へ突《つ》き出してホホホホと笑った。
お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。
だれがご伝授をうけるものか。一体釣や猟《りょう》をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。
不人情でなくって、殺生《せっしょう》をして喜ぶ訳がない。
魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極《き》まってる。
釣や猟をしなくっちゃ活計《かっけい》がたたないなら格別だが、何不足なく暮《くら》している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢《ぜいたく》な話だ。
こう思ったが向《むこ》うは文学士だけに口が達者だから、議論じゃ叶《かな》わないと思って、だまってた。
すると先生このおれを降参させたと疳違《かんちが》いして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川《よしかわ》君と二人《ふたり》ぎりじゃ、淋《さむ》しいから、来たまえとしきりに勧める。
この野だは、どういう了見《りょうけん》だか、赤シャツのうちへ朝夕出入《でいり》して、どこへでも随行《ずいこう》して行《ゆ》く。
まるで同輩《どうはい》じゃない。主従《しゅうじゅう》みたようだ。
赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くに極《きま》っているんだから、今さら驚《おど》ろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無愛想《ぶあいそ》のおれへ口を掛《か》けたんだろう。
大方高慢《こうまん》ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘《さそ》ったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。
鮪《まぐろ》の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。
おれだって人間だ、いくら下手《へた》だって糸さえ卸《おろ》しゃ、何かかかるだろう、
ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌《きら》いだから行かないんじゃないと邪推《じゃすい》するに相違《そうい》ない。
それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度《したく》を整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せて浜《はま》へ行った。
船頭は一人《ひとり》で、船《ふね》は細長い東京辺では見た事もない恰好《かっこう》である。
さっきから船中見渡《みわた》すが釣竿《つりざお》が一本も見えない。
釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、
野だに聞くと、沖釣《おきづり》には竿は用いません、糸だけでげすと顋を撫《な》でて黒人《くろうと》じみた事を云った。
こう遣《や》り込《こ》められるくらいならだまっていればよかった。
船頭はゆっくりゆっくり漕《こ》いでいるが熟練は恐《おそろ》しいもので、
見返《みか》えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。
高柏寺《こうはくじ》の五重の塔《とう》が森の上へ抜《ぬ》け出して針のように尖《とん》がってる。
向側《むこうがわ》を見ると青嶋《あおしま》が浮いている。
これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松《まつ》ばかりだ。
赤シャツは、しきりに眺望《ちょうぼう》していい景色だと云ってる。
絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。
ひろびろとした海の上で、潮風に吹《ふ》かれるのは薬だと思った。
「あの松を見たまえ、幹が真直《まっすぐ》で、上が傘《かさ》のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、
野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。
ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙《だま》っていた。
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY