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坊っちゃん 五 Botchan Chapter V (2)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平《たいら》だ。
赤シャツのお陰《かげ》ではなはだ愉快《ゆかい》だ。
出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。
つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。
すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議《ほつぎ》をした。
赤シャツはそいつは面白い、吾々《われわれ》はこれからそう云おうと賛成した。
この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑《めいわく》だ。
あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、
マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。
なに誰も居ないから大丈夫《だいじょうぶ》ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。
マドンナだろうが、小旦那《こだんな》だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。
これで当人は私《わたし》も江戸《えど》っ子でげすなどと云ってる。
マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染《なじみ》の芸者の渾名《あだな》か何かに違いないと思った。
なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺《なが》めていれば世話はない。
それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
幾尋《いくひろ》あるかねと赤シャツが聞くと、六尋《むひろ》ぐらいだと云う。
六尋ぐらいじゃ鯛《たい》はむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。
野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸を繰《く》り出して投げ入れる。
何だか先に錘《おもり》のような鉛《なまり》がぶら下がってるだけだ。浮《うき》がない。
浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到底《とうてい》出来ないと見ていると、
浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人《しろうと》ですよ。
こうしてね、糸が水底《みずそこ》へついた時分に、船縁《ふなべり》の所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、
何かかかったと思ったら何にもかからない、餌《え》がなくなってたばかりだ。
いい気味《きび》だ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、
どうも教頭のお手際でさえ逃《に》げられちゃ、今日は油断ができませんよ。
しかし逃げられても何ですね。浮と睨《にら》めくらをしている連中よりはましですね。
ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからね
と野だは妙《みよう》な事ばかり喋舌《しゃべ》る。よっぽど撲《なぐ》りつけてやろうかと思った。
教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹《かつお》の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、
どぼんと錘と糸を抛《ほう》り込んでいい加減に指の先であやつっていた。
しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。
しめた、釣れたとぐいぐい手繰《たぐ》り寄せた。おや釣れましたかね、後世恐《おそ》るべしだと野だがひやかすうち、
糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほどしか、水に浸《つ》いておらん。
船縁から覗《のぞ》いてみたら、金魚のような縞《しま》のある魚が糸にくっついて、右左へ漾《ただよ》いながら、手に応じて浮き上がってくる。
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY