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坊っちゃん 六 Botchan Chapter VI (4)

夏目漱石 Soseki Natsume

青空文庫 AOZORA BUNKO
 もう大抵お揃《そろ》いでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定《かんじょう》してみる。一人足りない。
一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子《とうなす》のうらなり君が来ていない。
おれとうらなり君とはどう云う宿世《すくせ》の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。
控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中《とちゅう》をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮《うか》ぶ。
温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼《あお》い顔をして湯壺《ゆつぼ》のなかに膨《ふく》れている。挨拶《あいさつ》をするとへえと恐縮《きょうしゅく》して頭を下げるから気の毒になる。
学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。
めったに笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。
おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、
うらなり君に逢《あ》ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。
 このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。
実を云うと、この男の次へでも坐《す》わろうかと、ひそかに目標《めじるし》にして来たくらいだ。
校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫《むらさき》の袱紗包《ふくさづつみ》をほどいて、蒟蒻版《こんにゃくばん》のような者を読んでいる。
赤シャツは琥珀《こはく》のパイプを絹ハンケチで磨《みが》き始めた。
この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。
ほかの連中は隣り同志で何だか私語《ささや》き合っている。
手持無沙汰《てもちぶさた》なのは鉛筆《えんぴつ》の尻《しり》に着いている、護謨《ゴム》の頭でテーブルの上へしきりに何か書いている。
野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。
ただうんとかああと云うばかりで、時々怖《こわ》い眼をして、おれの方を見る。
おれも負けずに睨《にら》め返す。
 ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻致《いた》しましたと慇懃《いんぎん》に狸《たぬき》に挨拶《あいさつ》をした。
では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。
見ると最初が処分の件、次が生徒取締《とりしまり》の件、その他二三ヶ条である。
狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊《いきりょう》という見えでこんな意味の事を述べた。
「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳《かとく》の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧《ざんき》の念に堪《た》えんが、
不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。
しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、
事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を参考のためにお述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。
こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎《とが》だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職《めんしょく》になったら、よさそうなもんだ。
そうすればこんな面倒《めんどう》な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。
第一常識から云《い》っても分ってる。
おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。
わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極《きま》ってる。
もし山嵐が煽動《せんどう》したとすれば、生徒と山嵐を退治《たいじ》ればそれでたくさんだ。
人の尻《しり》を自分で背負《しょ》い込《こ》んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、
狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。
彼《かれ》はこんな条理《じょうり》に適《かな》わない議論を吐《は》いて、得意気に一同を見廻した。
ところが誰も口を開くものがない。
博物の教師は第一教場の屋根に烏《からす》がとまってるのを眺《なが》めている。
漢学の先生は蒟蒻版《こんにゃくばん》を畳《たた》んだり、延ばしたりしてる。
山嵐はまだおれの顔をにらめている。
会議と云うものが、こんな馬鹿気《ばかげ》たものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
 
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY
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