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坊っちゃん 六 Botchan Chapter VI (5)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。
見るとパイプをしまって、縞《しま》のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。
あの手巾《はんけち》はきっとマドンナから巻き上げたに相違《そうい》ない。男は白い麻《あさ》を使うもんだ。
「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届《ふゆきとどき》であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚《は》ずるのであります。
でこう云う事は、何か陥欠《かんけつ》があると起るもので、
事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。
だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。
かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯《いたずら》をやる事はないとも限らん。
でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙《ようかい》する限りではないが、どうかその辺をご斟酌《しんしゃく》になって、なるべく寛大なお取計《とりはからい》を願いたいと思います」
生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。
気狂《きちがい》が人の頭を撲《なぐ》り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。
活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲《すもう》でも取るがいい、
半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。
この様子じゃ寝頸《ねくび》をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々《とうとう》と述べたてなくっちゃつまらない、
おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞《つま》ってしまう。
狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌《しゃべ》って揚足《あげあし》を取られちゃ面白くない。
ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。
野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊《とっかん》事件は吾々《われわれ》心ある職員をして、ひそかに吾《わが》校将来の前途《ぜんと》に危惧《きぐ》の念を抱《いだ》かしむるに足る珍事《ちんじ》でありまして、
吾々職員たるものはこの際奮《ふる》って自ら省りみて、全校の風紀を振粛《しんしゅく》しなければなりません。
それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮《こうけい》に中《あた》った剴切《がいせつ》なお考えで
どうかなるべく寛大《かんだい》のご処分を仰《あお》ぎたいと思います」と云った。
漢語をのべつに陳列《ちんれつ》するぎりで訳が分らない。
おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起《た》ち上がってしまった。
「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。
「……そんな頓珍漢《とんちんかん》な、処分は大嫌《だいきら》いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。
どうしても詫《あや》まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。
すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。
やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。
左隣の漢学は穏便説《おんびんせつ》に賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。
こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。
おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟《かくご》でいた。
どうせ、こんな手合《てあい》を弁口《べんこう》で屈伏《くっぷく》させる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。
また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄《すま》していた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY