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坊っちゃん 八 Botchan Chapter VIII (2)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
「もう発表になるから話しても差し支《つか》えないでしょう。実は古賀君です」
「ここの地《じ》の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」
――土地が土地だから一級俸上《あが》って行く事になりました」
「代りも大抵《たいてい》極まってるんです。その代りの具合で君の待遇上の都合もつくんです」
「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでも構いません」
それで校長も同意見らしいが、追っては君にもっと働いて頂《いた》だかなくってはならんようになるかも知れないから、どうか今からそのつもりで覚悟《かくご》をしてやってもらいたいですね」
「ちょっと聞くと妙だが、――判然とは今言いにくいが――まあつまり、君にもっと重大な責任を持ってもらうかも知れないという意味なんです」
今より重大な責任と云えば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこさんなかなか辞職する気遣《きづか》いはない。
それに、生徒の人望があるから転任や免職《めんしょく》は学校の得策であるまい。
それから少し雑談をしているうちに、うらなり君の送別会をやる事や、ついてはおれが酒を飲むかと云う問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云う事や――赤シャツはいろいろ弁じた。
しまいに話をかえて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。
発句《ほっく》は芭蕉《ばしょう》か髪結床《かみいどこ》の親方のやるもんだ。
数学の先生が朝顔やに釣瓶《つるべ》をとられてたまるものか。
家屋敷はもちろん、勤める学校に不足のない故郷がいやになったからと云って、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。
それも花の都の電車が通《かよ》ってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何の事だ。
おれは船つきのいいここへ来てさえ、一ヶ月立たないうちにもう帰りたくなった。
赤シャツの云うところによると船から上がって、一日《いちんち》馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日《いちんち》車へ乗らなくっては着けないそうだ。
いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、
ところへあいかわらず婆《ばあ》さんが夕食《ゆうめし》を運んで出る。今日もまた芋《いも》ですかいと聞いてみたら、いえ今日はお豆腐《とうふ》ぞなもしと云った。
「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」
「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」
「そりゃあなた、大違いの勘五郎《かんごろう》ぞなもし」
「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。
それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門《ほらえもん》だ」
「教頭さんが、そうお云いるのはもっともじゃが、古賀さんのお往《い》きともないのももっともぞなもし」
「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。一体どういう訳なんですい」
「今朝古賀のお母さんが見えて、だんだん訳をお話したがなもし」
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY