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坊っちゃん 九 Botchan Chapter IX (1)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐《やまあらし》が突然《とつぜん》、君先だってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれと頼《たの》んだから、真面目《まじめ》に受けて、君に出てやれと話したのだが、
あとから聞いてみると、あいつは悪《わ》るい奴《やつ》で、よく偽筆《ぎひつ》へ贋落款《にせらっかん》などを押《お》して売りつけるそうだから、
全く君の事も出鱈目《でたらめ》に違《ちが》いない。
君に懸物《かけもの》や骨董《こっとう》を売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないで儲《もう》けがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化《ごまか》したのだ。
僕はあの人物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁《かんべん》したまえ
おれは何とも云わずに、山嵐の机の上にあった、一銭五厘《りん》をとって、おれの蝦蟇口《がまぐち》のなかへ入れた。
山嵐は君それを引き込《こ》めるのかと不審《ふしん》そうに聞くから、
うんおれは君に奢《おご》られるのが、いやだったから、是非返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱり奢ってもらう方がいいようだから、引き込ますんだと説明した。
山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんなら、なぜ早く取らなかったのだと聞いた。
実は取ろう取ろうと思ってたが、何だか妙《みょう》だからそのままにしておいた。
近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと云ったら、
君はよっぽど負け惜《お》しみの強い男だと云うから、君はよっぽど剛情張《ごうじょうっぱ》りだと答えてやった。
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」
「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜《はま》まで見送りに行こうと思ってるくらいだ」
「送別会は面白いぜ、出て見たまえ。今日は大いに飲むつもりだ」
「勝手に飲むがいい。おれは肴《さかな》を食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿《ばか》だ」
「君はすぐ喧嘩《けんか》を吹《ふ》き懸《か》ける男だ。
なるほど江戸っ子の軽跳《けいちょう》な風を、よく、あらわしてる」
「何でもいい、送別会へ行く前にちょっとおれのうちへお寄り、話《はな》しがあるから」
おれはこの間から、うらなり君の顔を見る度に気の毒でたまらなかったが、いよいよ送別の今日となったら、何だか憐《あわ》れっぽくって、出来る事なら、おれが代りに行ってやりたい様な気がしだした。
それで送別会の席上で、大いに演説でもしてその行を盛《さかん》にしてやりたいと思うのだが、おれのべらんめえ調子じゃ、到底《とうてい》物にならないから、
大きな声を出す山嵐を雇《やと》って、一番赤シャツの荒肝《あらぎも》を挫《ひし》いでやろうと考え付いたから、
おれはまず冒頭《ぼうとう》としてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳《くわ》しく知っている。
おれが野芹川《のぜりがわ》の土手の話をして、あれは馬鹿野郎《ばかやろう》だと云ったら、
山嵐は君はだれを捕《つら》まえても馬鹿呼《よば》わりをする。
自分が馬鹿なら、赤シャツは馬鹿じゃない。自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。
それじゃ赤シャツは腑抜《ふぬ》けの呆助《ほうすけ》だと云ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。
山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥《はる》かに字を知っていない。
会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだろう。
それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが云った話をしたら山嵐はふふんと鼻から声を出して、それじゃ僕を免職《めんしょく》する考えだなと云った。
免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞いたら、
誰《だれ》がなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツもいっしょに免職させてやると大いに威張《いば》った。
どうしていっしょに免職させる気かと押し返して尋《たず》ねたら、そこはまだ考えていないと答えた。
山嵐は強そうだが、智慧《ちえ》はあまりなさそうだ。
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY