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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー
Chapter6-3
Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
トムがきているということがその夕べに妙な圧迫感を与えていたのだろう――その夏のギャツビーのパーティーのなかでも格別に記憶に残っている。
顔ぶれはいつもと同じ。というか、少なくとも同じ種類の連中で、シャンパンの大盤振舞《おおばんぶるまい》もいつもどおり、雑多な色彩と音調が入り乱れているのも相変わらずだったけど、それでもぼくは、以前には見られなかったとげとげしさがたちこめたその場の雰囲気に不快感を覚えた。
あるいは、ひょっとしてぼくがギャツビーのパーティーになじんでしまい、ウェスト・エッグという、独自の基準と独自の英雄像を持ち、そうであることを自覚していないからこそ他の追随《ついずい》を許さない土地を、それ自体で完結したひとつの世界として受け容れるようになっていたところが、いまそれを改めて見なおすにあたってデイジーの視点を借りたためなのかもしれない。
ぼくらが一生懸命《いっしょうけんめい》に順応してきたなにかを新しい視点で見直していくのは、いつだって悲しみを呼ぶものだ。
トムとデイジーが到着したのは黄昏時《たそがれどき》だった。ぼくとギャツビーを伴って何百という精華《せいか》の間を縫《ぬ》うように歩き回る間、デイジーの声はささやくような無駄口を喉の奥で奏でていた。
「ここにきてからとってもわくわくしてる」とデイジーはささやくように言った。「今晩もしわたしにキスしたくなったらね、ニック、いつでもそう言って。よろこんで応えちゃうから。
じゃなきゃ、緑のカードを出すこと。わたし、緑のカードを配って――」
「名前くらいはお聞きの顔がたくさんあると思いますが」
実際、見知った顔などひとつもないように思っていたところです」
ギャツビーは白李《しろすもも》の下に座っている女性のことを言っているのだ。人間ばなれした、蘭《らん》の花みたいに絢爛《けんらん》な女だった。
トムとデイジーは目を見張った。その眼差しには、それまで映画の中でしか見たことのなかった著名人を眼前にしたときに特有な、現実を疑うような気持ちがこめられていた。
「あのひとに屈みこんでいるのはあのひとの映画を撮っている監督ですよ」
ギャツビーは儀式ばってトムとデイジーをいろんなグループに紹介していった。「ミセス・ブキャナン……ミスター・ブキャナン――」
それから一瞬ためらって、こう付け加えた。「かのポロ・プレイヤーの」
「まさか」とトムはあわてて否定した。「ぼくは『かの』なんてものじゃありませんよ」
だがその響きは明らかにギャツビーを悦に入らせていたのだ。その晩ずっとトムは「かのポロ・プレイヤー」として紹介されつづけたのだから。
「わたし、こんなにたくさんの有名人に会ったのはじめて」とデイジーは叫ぶように言った。
「あのひと、気に入ったな――名前はなんだったっけ?――あの、ちょっと真面目ぶったひとなんだけど」
ギャツビーはその男の名前を言い、力のないプロデューサーだと付け加えた。
「ぼくはどっちかというと、かのポロ・プレイヤーでないほうがありがたいんですけどね」とトムが弾むような声で言った。「この高名な方々をただひたすらに見ていたいものです――すっかり忘れられた状態でね」
かれの、古めかしいフォックス・トロットの優美さに驚かされた覚えがある――ぼくはそれまでかれの踊るところを一度も見たことがなかったのだ。
それからかれらはパーティーを抜け出してぼくの家まで歩き、ステップに半時間ほど座っていた。ぼくはデイジーの求めに応じて庭の見張りに残った。
「火事とか洪水とか」とデイジーの説明にいわく、「その他の天災が起きたらあれだから」
トムがかれの言うすっかり忘れられた状態から姿をあらわし、ぼくらが夕食の席を囲んでいるところにやってきた。
「向こうの連中と食べることにしてもかまわないかな。妙な話をしてるのがいるんだよ」
「どうぞ」とデイジーが愛想よく言った。「だれかのアドレスを書きとめたくなったときは、わたしの金色の色鉛筆でも使えばいい」……デイジーはしばらくあたりを見渡してから、ぼくに向かい、その娘を「どこにでもいそうだけど、でも綺麗」と評した。デイジーは、ギャツビーとふたりきりで過ごした三十分を除けば、今夜のパーティーをさっぱり楽しんでいないのだと、ぼくは悟った。
ぼくのミスだ――ギャツビーが電話がかかってきていると呼び出された後、ほんの二週間前に席を囲んだのと同じ顔ぶれの連中と楽しみたいと思ったのだ。
けれども、あのときは面白く思ったものが、今回はただれた雰囲気にすりかわっていた。
話を振られた若い女は、ちょうど、ぼくの肩にしなだれかかろうとし、なかなかうまくいかずにいるところだった。
図体の大きい鈍重そうな女、これはデイジーを明日のローカルなクラブでのゴルフに誘っていた女だが、それがミス・ベーデカーの弁護をはじめた。
「ああ、大丈夫よ。いつもカクテルを五、六杯ひっかけるとあんなふうにわめきだすんだから。お酒はやめたほうがいいって、あたし、言ってるんだけどね」
「やめてるってば」とこれは形ばかりの反駁《はんぱく》だ。
「あんたが大声でわめいてるのが聞こえてきたからね、あたしはここにいるシベットせんせに言ったんだ。『せんせ、あんたの力を必要としてるのがいるんだ』って」
「感謝すべきだな、まったく」ともうひとりの友人が言ったが、あまりありがたそうではない。
「でもあんた、あのひとの頭をプールに突っこんでドレスまでずぶぬれにしてしまったこともあったしね」
「なにが嫌って、自分の頭をプールに突っ込まれることほど嫌なものはない」とミス・ベーデカーが舌の回らない喋り方で言った。「一度なんか、あの連中、ニュージャージーであたしを溺れさせるところだったんだから」
「じゃあ酒をやめることですな」とドクター・シベットが反撃した。
「自分はどうなのよ!」とミス・ベーデカーは猛然と叫んだ。
「手が震えてるくせに。あんたの手術なんて、あたしは絶対にお断りだね!」
ぼくの記憶では、最後あたりはデイジーと並んで立って、映画監督とそのスターとを眺めていたはずだ。
二人はまだ白李《しろすもも》の下にいて、お互いの顔を触れんばかりに近づけている。顔と顔の間には、月からの細い光が流れこんでいるだけだ。
ふとぼくは思った。かれは一晩かけてごくゆっくりと彼女の方へと身をかがめていき、ついにこの距離にまで達したのではないか、と。ぼくが見守っているうちに、かれは最後のひとかがみを極め、彼女の頬にキスをした。
「あのひとのこと、気に入ったな」とデイジーが言った。「きれいなひとだと思う」
けれどもその他はデイジーの気に触った――その理由は、議論の余地もなく、身振りや仕草の問題ではなくて、感情的な問題だった。
ブロードウェイがロング・アイランドの一漁村にこしらえたウェスト・エッグという先例のない「場所」に、彼女は恐れをなしていた――昔ながらの回りくどい会話の皮下にある生々しい精力や、無から無へと通じる近道に人々を群がらせる、あまりにも押しつけがましい運命観に、恐れをなしたのだ。
自分には理解できない単細胞さに、デイジーは何かおぞましいものを見出していた。
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha