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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter7-10

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「あの女性が車にはねられたんだよ。即死」
「即死」と、トムはぎょっとしたようすでくりかえした。
「道路に飛び出したもんでね。糞野郎が、停まろうともしやがらなかった」
「二台きてたんだよ」と、マイカリスが言った。「一台はあっち行き、もう一台は向こう行き。見なかったか?」
「どこに向かってた?」と警官が鋭く質問した。
「それぞれ行き違うように走ってた。で、奥さんが」――と言って毛布に手を伸ばしかけたものの、途中で腕を下ろし、脇腹につけた――「奥さんがニューヨークからきてたほうの車の前に飛び出して、もろにはねられちまったんだ。時速六十キロくらい出てたな」
「ここはなんという名前の土地だ?」と警官が尋ねる。
「名前なんてない」
 肌色のやや薄い、着飾った黒人が進み出てきた。
「黄色い車でした。大きな黄色の車。新車」
「事故を見たのかね?」
「いや、でも道でその車とすれ違ったもんで。六十キロ以上出てました。七十キロ、いや八十キロ出てたかも」
「こっちにきて、名前を聞かせてもらおうか。おい、静かにするんだ。名前を書き取っておきたいんだから」
 こうした会話の一部が、ウィルソンの耳にも届いていたに違いない。事務所の戸口で体をゆすっていたかれの、途切れ途切れの悲嘆の声の中に、新しいテーマが芽吹いた。「どんな車だったかなんて言わんでいい! おれにはどんな車だったかわかってる!」
 ぼくの視線の先で、トムの肩甲骨《けんこうこつ》あたりの筋肉が上着の下で隆起したのに気がついた。
トムは、すたすたとウィルソンに向かって足を進めると、その正面に立ち、ウィルソンの左右の上腕をがっちりとつかんだ。
「しっかりしなきゃ駄目だ」と、どことなく優しげに言う。
 ウィルソンの瞳がトムに落ちかかった。ウィルソンはぎくりとして伸びあがり、それから急に力を失ったようになって、もしトムが抱きとめてやらなかったとしたら、膝から崩れこんでしまっていただろう。
「いいか」とトムはウィルソンの体を軽く揺さぶりながら言った。
「おれはちょうど今ここにきたばっかりなんだ。ニューヨークからな。
今日の午後話したクーペをここまで運んできたんだよ。
昼過ぎにおれが運転していたあの黄色の車はおれのじゃないぞ。聞いてるか? おれはあの車を午後一杯見てないからな」
 トムの言葉を聞き取りうる距離にいたのはぼくと例の黒人だけだったけど、その言葉の調子になにかをかぎとったらしく、警官は噛みつくような眼差しを向けてきた。
「おれはこいつの友人でね」と、トムがウィルソンの体にしっかりと腕を回したまま、首だけ振りかえって答えた。
「こいつが問題の車を知っているというんだよ。黄色の車だったそうだ」
 なにかひっかかるところがあったのか、警官はトムを疑るように見つめた。
「で、あんたの車の色は?」
「おれのは青、クーペだ」
「ぼくらはまっすぐニューヨークからきた」とぼくは言った。
 ぼくの後を走ってきていただれかが、トムの発言を確証した。それで、警官は踵をかえした。
「さて、あんたの名前をもう一回正確に聞かせてもらいたいんだが――」
 トムはウィルソンを人形みたいに抱え上げて事務所に運びこみ、椅子に座らせてもどってきた。
「だれかこっちにきて、あいつについてやってくれ」とかれは横柄《おうへい》に言った。
いちばんそばにいた二人がお互いを見交わし、いやいやながら、屋内に入っていった。
かれらが中に入るのを見届けたトムは、かれらを閉じこめるようにドアを閉め、一段しかないステップを降りた。極力《きょくりょく》作業台を見ないようにしながら。
そしてぼくに近づき、耳打ちした。「出よう」
 気まずい思いを抱え、トムの横柄な両腕が道を作るに任せて、ぼくらもまた、いまだに増えつづける人垣をすりぬけていった。人ごみの中、往診鞄を手にした医者と行き違った。希望をもつのは無茶というものながら、三十分前に連絡がいっていたのだ。
 カーブを曲がるまで、トムはゆっくりと車を走らせた――カーブをすぎると、アクセルがぐっと踏みこまれ、クーペは夜を切り裂いて疾走しはじめた。
ほどなく、ぼくはトムの低くかすれたすすり泣きを耳にした。見ると、あふれる涙が両の頬を伝い落ちていた。
「ちくしょう、腰抜けが!」とトムは呟くように言った。
「やつは車を停めようとさえしなかったんだ」
 葉鳴《はな》りの音を立てる黒々とした木立の向こうに、ブキャナン邸が忽然《こつぜん》と浮かび上がった。
トムはポーチに車を横付けすると、二階を見上げた。蔦《つた》に囲われた窓のうち、二つが煌々《こうこう》と輝いている。
「デイジーは帰ってきてる」とトム。
それから車を降りる段になって、ぼくに視線を走らせ、かすかに眉をしかめた。
「ウェスト・エッグで降ろしてやったほうがよかったな、ニック。今夜、おれたちにできることは何一つないんだから」
 かれはふだんと少し違っていた。重々しく、決意をこめた口調で話していた。
みんな揃って月明かりの砂利道に沿ってポーチに向かう途中、かれは、手短なフレーズで、てきぱきとこのシチュエーションを捌《さば》いてみせた。
「タクシーを呼んでやるから、それを使って帰るといい。それまでジョーダンとキッチンで待っていてくれ。食事を用意させるよ――欲しければ、ね」
トムは玄関のドアを開けた。「さあ、入れ」
「いや、いいよ。でも、タクシーは呼んでおいてもらえるとありがたいな。外で待ってるから」
 ジョーダンがぼくの腕に手をかけた。
「いや、いいよ」
 ぼくは少し気分が悪く、ひとりになりたかった。
だが、ジョーダンは家に入ろうとしなかった。
 ぼくはどうしても中に入りたくなかった。一日にしてかれら全員に食傷《しょくしょう》してしまっていたのだけど、不意に、ジョーダンにも食傷してしまった。
そうした気分のかけらがぼくの言葉や態度にあらわれていて、それをジョーダンは見て取ったに違いなく、唐突に踵《きびす》をかえすと、ポーチのステップを駆け上って家の中に入っていった。
家の奥から電話の音と、それに続いて執事がタクシーを呼ぶ声が聞こえてくるまでの数分間、ぼくは両手に顔をうずめていた。
それから、門のところで待とうと、屋敷から遠ざかるように私道を歩きはじめた。
 
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha
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