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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter7-11

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
 二十メートルも行かないうちにぼくの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。ギャツビーが二つの茂みの間からでてきて小道に足を踏みいれた。
ぼくはそのときまでにすっかり感覚をちぐはぐにしていたに違いない。かれの姿を見ても何とも思わなかったのだから。ただ、月明かりに照らされたピンク色のスーツをまばゆく思ったくらいで。
「何をしてるんです?」と、ぼくは訊ねた。
「ただ立っているだけですよ、尊公」
 どういうわけか、ぼくにはそれが唾棄《だき》すべき行為のように思えた。
ことによると、かれはブキャナン家をたちどころに襲うつもりなのかもしれない。薄暗い茂みの影に、あの人相の悪い連中、「ウルフシェイムのところの人たち」の顔が並んでいるのを見たとしても、驚きはしなかっただろう。
「ここにくるまでになにかトラブルを見かけましたか?」しばらくしてから、そう尋ねてきた。
「ええ」
 かれは一瞬ためらった。
「死にましたか?」
「ええ」
「そう思いましたよ。デイジーにもそうなるだろうと言ってあります。
ショックは一度に来たほうが宜《よろ》しいですからね。あの人はとても健気《けなげ》に受け止めていました」
 まるでデイジーの反応が唯一無二《ゆいいつむに》の問題だと言わんばかりの口調だった。
「ウェスト・エッグには脇道を通って戻って来ました」とかれはつづける。「車は私の車庫に置いてあります。誰にも見られなかったと思いますが、勿論《もちろん》断定はできません」
 このときはもうかれのことがとても嫌《いや》になっていたから、かれの非を鳴らす必要をぼくは認めなかった。
「あの女性、どなたでしたか?」とかれが訊ねる。
「ウィルソンという女性。ご主人はあのガレージの持ち主ですよ。一体全体、どういうわけであんなことになったんですか?」
「いえね、私はハンドルを切ろうとしたのです――」かれは口を閉ざした。その瞬間、ぼくは事の真相を見抜いた。
「デイジーが運転していたんですね?」
「そうです」と、しばらく間を置いて答えがかえってきた。「ですがもちろん私は私が運転していたと言うつもりですよ。
ほら、私たちがニューヨークを出た時は、彼女、ひどく神経質になっていましたから、運転でもしたら落ち着くだろうと思ったのでしょうね――そして、問題の女性が私たちの車に向かって飛び出して来たのです。対抗車線からも一台来ていました。全体があっという間の出来事でしたが、どうやら、あの女性は私たちに何か言いたいことがあったようでした。私たちを知り合いの誰かと思ったのでしょうか。
それで、デイジーは最初ハンドルを切って彼女を避け、対抗車のほうに飛び出したのですが、気後れしたのでしょう、もとの車線に戻ってしまいました。
私がハンドルを取ったその瞬間に、衝撃が来ました――即死だったに違いありません」
「体が裂けてたから――」
「言わないで下さい、尊公」かれは身震いした。
「とにかく――デイジーはアクセルを踏み込みました。私はデイジーを止めようとしたのですが、停まろうとしてくれませんでしたので、サイドブレーキを引きました。
するとデイジーが私の膝《ひざ》に崩れこんできたものですから、そこからは私が運転を代わりました。
「明日になれば、あの人も元気になります」かれは少しだけ間を置いて言った。
「私は、あの方が今日の午後不愉快な思いをしたからとデイジーを苦しめたりしないかと思って、ここで待っているのです。
デイジーは自分の部屋に鍵をかけて閉じこもっています。手荒な真似をされそうになった時は、電灯を一旦消し、それからまた点けるという手筈《てはず》になっています」
「あいつはデイジーに触れもしませんよ。あいつが考えてるのはデイジーのことじゃない」
「私はあの方を信用しておりませんでね、尊公」
「どれくらい待つおつもりなんですか?」
「必要となれば夜通《よどお》しでも。とにかく、あの方達が皆ベッドに下がるまでは」
 ふと、違う見方もあるように思えてきた。
運転していたのがデイジーだったということを、トムが探りあてたとしたら。
だとしたら、トムも、そこに何らかの因果《いんが》を見たように思うかもしれない――とにかく、何か思うところくらいはあるのではないだろうか。
ぼくは家の様子を窺《うかが》った。一階の窓のうち、二、三は明々《あかあか》と照明が灯され、二階のデイジーの部屋からはピンク色の灯りが漏れ出していた。
「ここで待っててください。騒ぎの気配があるかどうか、ぼくが見てきますから」
 ぼくは芝生の端に沿って歩いてもどり、砂利道を忍び足で横切り、つま先だってベランダのステップを昇った。
応接室のカーテンが開かれていてので覗きこんでみたが、そこには誰もいなかった。
三ヶ月前のあの夕べに食事を囲んだポーチを通りぬけ、小さく、四角形の光が漏れ出しているところに出る。おそらく、食堂だろう。
ブラインドが下ろされていたけれど、窓敷居までは下りきっていなかった。
 デイジーとトムはキッチンのテーブルに向かい合って座っていた。冷めたフライド・チキンの皿とエールの瓶が二本、二人の間に置かれている。
熱っぽく語りかけるトムの、熱意がこもった手は、デイジーの手を上から包みこんでいた。
ときどき、デイジーはトムを見上げ、うなずいては同意を示した。
 かれらは幸せではなかった。チキンにもエールにも手がつけられていなかった――といって、不幸せでもなかった。
その光景には、勘違いのない雰囲気、自然発生的な親密さがただよっていて、だれが見ても、二人は心が通いあっていると判断したことだろう。
 つま先だってポーチを抜け出すぼくの耳に、屋敷への暗い道を探るようにして走る、ぼくのために呼ばれたタクシーの走行音が届いた。
ギャツビーは、私道の、ぼくと別れたところで待っていた。
「騒ぎなど起きていませんでしたか?」かれは心配そうに尋ねてきた。
「ええ、静かなものですよ」とぼくは言った。
「一緒に乗って行きませんか。おやすみになったほうがいい」
 かれは首を横に振った。
「私はデイジーがベッドに入るまで待っていたい。おやすみなさい、尊公」
 かれは上着のポケットに手を突っこんでくるりと振りかえり、問題の家のようすを熱心にうかがった。まるでぼくの存在が不寝番《ねずのばん》の神聖《しんせい》さを損なうものだと言わんばかりに。
だからぼくは歩きだした。月明かりの下に立つかれを――なにも起きようはずのない家を見守るかれをその場に残して。
 
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha
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