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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー
Chapter7-8
Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「あんた、所詮《しょせん》はメイヤー・ウルフシェイムと一緒にそこらをうろつきまわっている連中の一味じゃないか――というのはたまたま知ったことだがね。あんたについてちょっとした調査をやってみたんでね――明日はもっと突っこんで調べてやる」
「そのことでしたらどうぞお気の済むまで」とギャツビーが落ち着き払って言う。
「おれはこいつの『ドラッグストア』がどういうものか、探りだしたんだ」と、トムはぼくらのほうに向き直り、早口で喋りはじめた。
「こいつとウルフシェイムというやつは、ここいらやシカゴのサイドストリートにあるドラッグストアをごっそり買い取ってだな、エチルアルコールを売りさばいたのさ。
それがこいつのちょっとした隠し芸のひとつってわけだ。
おれははじめてこいつに会ったとき、こいつは闇酒屋《やみざけや》だと踏んだんだが、それほど間違ってはなかった」
「それがどうかなさいましたか?」とギャツビーが礼儀正しく返す。
「お友だちのウォルター・チェイスも私どもの仲間に加わるのを特に恥とはしなかったようですが」
「それであんたはウォルターを見捨てたんだろう、違うか? あんたのせいであいつはニュージャージーで一ヶ月もぶちこまれるはめになったんだぜ。
くそッ。ウォルターがあんたのことをどう言ってるか、あんた、直接聞いてみろよ」
「私どものところにきたとき、あの方は無一文《むいちもん》だったのですよ。いくらか金が握れてたいへん喜んでいましたがね、尊公」
「おれに向かって『尊公』はやめろ!」トムが叫んだ。
「ウォルターはあんたを賭博法でぶちこむこともできたんだ。ところがウルフシェイムに脅迫されて口をつぐんじまった」
ギャツビーの顔に、あの見なれない、それでいてそれと分かる表情がもどってきていた。
「ドラッグストアなんてかわいいもんだ」と、トムはゆっくりと続けて、「が、あんたは他にもなにかをやってるんだろう? ウォルターが、おれにさえ、口にするのをはばかるようなことを」
ぼくはデイジーに視線を走らせた。ギャツビーと夫との間に座っているデイジーに。それからジョーダンに。こちらは、目に見えないけれど魅力のつまった物体をあごの先に乗せ、バランスをとりはじめていた。
それから、ぼくはギャツビーに目をもどした――そして、その表情を見てぎょっとした。
それはまるで――かれの庭で叩かれた軽口は、どこまでもくだらないものだったけど――まるで、「人を殺した」ことのある男の顔だった。
ほんの少しの間、あの奇怪な表現そのままに描写《びょうしゃ》されうる表情が、彼の顔に浮かんでいた。
その表情が消えると、ギャツビーは興奮してデイジーに語りかけはじめた。すべてを否定し、いまだなされぬ非難にまで己の名を弁護する。
けれど、どれほど言葉を尽くしても、デイジーはどんどん自分の殻に引きこもっていくばかりで、結局、ギャツビーは諦めた。そして、後にはただ息絶えた夢だけが、するりと逃げていくあの午後と戦うように、もはや実体を失ったものに触れようと、儚《はかな》い望みをかけ、部屋の向こう、あの失われた声を目指してもがいていた。
その声が、ふたたび、ここを出ようと請《こ》う。「お願い、トム! わたし、こんなのもう耐えられない」
デイジーがそれまでどれほどの意思とどれほどの勇気をもっていたにせよ、いまの怯えた瞳は、そのすべてが失われたことを雄弁《ゆうべん》に物語っていた。
「おまえたち二人で先に帰れ、デイジー」と、トムは言った。「ミスター・ギャツビーの車でな」
デイジーはトムを、恐る恐る見つめた。が、トムは嘲《あざけ》りをこめつつ、それでいて寛大な自分の主張を貫いた。
「行けよ。そいつはもうおまえをてこずらせたりするものか。たぶん、自分のつまらん横恋慕《よこれんぼ》が終わったってことくらい気づいてるだろうから」
ギャツビーとデイジーは出ていった。一言もなく、消え入るように。ぼくらとかれらとは、まるで幽霊のような偶然の関係になりはて、かれらは、ぼくらの哀れみからさえも孤絶した。
しばらくしてからトムは立ちあがり、栓を開けられることなく終わったウイスキーの瓶をタオルでくるみはじめた。
「こいつを試してみるか、ジョーダン? ……ニック?」
「いや、いい……ちょうど、今日がぼくの誕生日だったって思い出したんだ」
ぼくは三十になっていた。目の前には、新たな十年という不安と脅威に満ちた道が開けていた。
みんなでクーペに乗りこみ、トムの運転でロング・アイランドに向けて出発したのは七時のことだ。
トムは絶え間なくしゃべり、ひどくはしゃいで笑いまくっていたけれど、その声は、ちょうど、歩道から響いてくる外国人の怒号《どごう》や、頭上の高架から降ってくる騒音と同じくらい、ぼくやジョーダンからは浮いた声になっていた。
人間の同情心には限界がある。さきほどの悲劇的な議論すべてを後背の都市の照明がかき消していくのに、ぼくらは満足を覚えていた。
三十歳――その先に見えきっている、孤独の十年。独身を貫く知り合いのリストは薄くなり、情熱を詰めこんだブリーフケースも薄くなり、髪もまた薄くなる。
けれども、ぼくのかたわらにはジョーダンがいた。デイジーとは違い、賢すぎるがゆえ、すでに忘れ去られた夢を年毎《としごと》に持ち越していくことのできないジョーダン。
あの暗い橋を通り抜けると、ジョーダンはその細面《ほそおもて》をけだるそうにぼくの上着の肩に預けてきた。ぼくの手を優しく包みこむその力に、三十代の恐ろしい衝撃は消え去っていった。
というわけで、ひんやりした黄昏《たそがれ》の下、ぼくらは死に向かって車を走らせていた。
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha