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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter9-5

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
 ぼくの記憶のうち、もっとも生き生きとしているもののひとつは、クリスマス休みになって、高校から、後には大学から、西部にもどってきたときのことだ。
シカゴよりも遠くに出かける人々は、十二月の日、夕刻六時になると、老朽化《ろうきゅうか》したユニオン・ステーションの駅舎に集まってくる。シカゴの友人たちも一握りはいるけど、かれらの心はすでに楽しい休暇に飛んでいるものだから、別れの挨拶もあわただしい。
ぼくは思い出す。ミス・だれそれのところからもどってきた女の子たちの毛皮のコート、白い息を吐き出しながらのおしゃべり、知人の顔を見つけるたびに頭上でうちふられる手、「オードウェイのところには行く? ハーシーのところには? シュルツのところには?」というふうな招待合戦、ぼくらの手袋をした手に握り締められた細長い緑の切符。
おしまいに、クリスマスそのもののような陽気さをたたえて改札の脇の線路にたたずんでいる、シカゴ-ミルウォーキー-セント・ポール方面行きの暗黄色《あんおうしょく》の列車。
 ぼくらが冬の夜に引き出され、本物の雪、ぼくらの雪が、車両の窓の外をきらきらと舞うようになり、小さなウィスコンシン駅のぼやけた光も遠ざかると、鋭い野性的な緊迫感がとつぜん空気に入り混じるようになる。
夕食からもどってくる際、ぼくらはデッキでそれを深々と吸いこみ、口に言い表せないほど、この地方とともにあるぼくらのアイデンティティを知覚する。その、奇妙な一時間がすぎると、ぼくらはふたたび、分かちがたいほどに、この世界に溶けこんでしまう。
 それがぼくの中西部だった──小麦畑でもなく、大草原でもなく、失われたスウェーデン人の街でもない。青春時代の心弾ませる帰省列車や、寒空の下の街灯とそりの鈴音、柊《ひいらぎ》のリースが明かりの灯る窓から雪の上に落とす影。ぼくはそのひとかけらだ。
ぼくは、ああいう長い冬に気分を通じるちっぽけな頑固者であり、幾世代にもわたって住人たちが個々の屋敷をファミリーネームで呼び合ってきたような街のキャラウェイ邸で育ったことをよしとするちっぽけな自己満足漢なのだ。
結局、いまにしてみればこれは西部の物語なのだ――トムもギャツビーもデイジーもジョーダンもぼくも、みな西部人なのだから。そしてぼくらは、東部での暮らしにどこか適合できない、共通の欠点を抱えていたのだと思う。
 ぼくが東部にいちばん心を奮《ふる》い立たせていたときさえも、退屈で活気もなくぶざまに膨れ上がった、子供と極端な老人を除き際限《さいげん》のないさぐりあいがつづくオハイオ以西の街々を凌駕《りょうが》する東部のよさをいちばんはっきりと知覚していたときでさえも――その当時であってさえも、ぼくの目にはいつも、東部が抱えていた何かしらの歪《ゆが》みが映っていた。
とりわけウェスト・エッグは、奇想天外《きそうてんがい》な夢想以上のリアルさをもって、今もぼくにせまってくる。
エル・グレコが描きそうな一夜の情景が見える。百の家々が、古臭さと不気味さを兼ね備えつつ、陰鬱《いんうつ》にのしかかる空と光の冴えない月の下に、うずくまるような格好で並んでいる。
前景では、四人の着飾った男たちが、担架《たんか》を抱え、歩道を歩いていく。担架の上に横たわるのは、白いイブニング・ドレスを着ている酔いつぶれた女。
片手がだらりと担架からはみだし、そこから宝飾品が冷たいきらめきを放つ。
大真面目なようすで男たちは一軒の家に向かう──お門違《かどちが》いの家に。
けれどもだれひとりとしてその女の名を知らず、だれひとりとして気にかけてなどいない。
 ギャツビーの死後、東部はそういう具合にぼくを悩ますようになった。ぼくの瞳が持つ矯正《きょうせい》の力を超えた歪みを見せはじめたのだ。
だから、落ち葉が青白い煙を宙にたなびかせ、風が吹いては湿った洗濯物をロープに並べられたままこちこちに凍らせてしまうようになると、ぼくは故郷に帰ろうと決心した。
 東部を発つ前にやらなければならないことがひとつあった。気の進まないことで、ひょっとしたらそのままほったらかしにしておいたほうがよかったのかもしれない。
でもぼくは発つにあたってけじめをつけておきたかったし、あの親切で無関心な海がぼくからの拒絶を洗い流してくれるのに頼りきるのは嫌だった。
ぼくはジョーダン・ベイカーに会い、お互いの身に起きたことを話し、それからあの後ぼくの身に起こったことを話した。彼女は大きな椅子にもたれかかり、身じろぎもせずにぼくの話を聞いていた。
 ゴルフウェアを着た彼女の姿を、よくできたイラストのように思ったのを覚えている。やや快活にそらされたあご、銀杏《いちょう》色の髪、膝の上に置かれた指なし手袋と同じ茶系色の顔。
ぼくが話し終えると、ジョーダンは、別の男と婚約したとただ事実だけを告げた。
ぼくはそれが本当かどうか疑わしく思った。うなずいてみせるだけで結婚に持ちこめる相手が何人かいたにしてもだ。とにかくぼくは驚いたふりをした。
すこしの間ぼくは間違ったことをしているのではないかと思い、もう一度すべてをすばやく再検討し、そして別れを告げるために立ちあがった。
「でも結局あなたがわたしを捨てたのよ」とジョーダンがとつぜん口を開いた。
「あの電話で、あなたはわたしを捨てたのよ。
それを恨んでるわけじゃないの、ただ私にとってははじめての経験だったから、しばらくは呆然としちゃった」
 ぼくらは握手した。
「そうだ、覚えてる? わたしたちが車で話したこと」
「ん――いや、正確には」
「下手な運転手でも、もうひとりの下手な運転手に会うまでは安全だって、そんな話をしたじゃない? 
それで、わたしはもうひとりの下手な運転手に出くわしちゃったってわけ。ね? 
つまり、とんでもない思い違いをしちゃったのは全部わたしの不注意のせいだったってこと。
わたしね、あなたのこと正直でまっすぐな人だと思ってた。
それがあなたの胸に秘めたプライドだと思ってたんだ」
「ぼくはもう三十だぜ。
あと五つ若ければ、自分に嘘をついてそれを誇りとしたかもしれないけれど」
 答えはなかった。ぼくは腹をたて、なかばいとおしく想い、そして心の底から申し訳なく感じながら、踵《きびす》をかえした。
 
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