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A Dog of Flanders 15 フランダースの犬
Ouida ウィーダ
AOZORA BUNKO 青空文庫
その晩は、クリスマス・イブでした。粉屋の家には、樫の木の薪や炭がどっさりとありました。クリームやはち蜜、パンや肉もいっぱいありました。天井の柱にはときわ木の輪がつるされていて、キリストの像とカッコウ時計が、ヒイラギのしげみの間からのぞいていました。
それから、アロアのために小さな紙でできたちょうちんもつるされていました。そして、いろいろな種類のおもちゃや、明るい絵がかかれた紙につつまれたお菓子がありました。
至る所、光と暖かさと豊かさが満ちあふれていました。アロアは、何とかパトラッシュを大事なお客さまとして、おもてなしをしたくてしょうがありませんでした。
けれども、パトラッシュは暖かいところにやってこようともせず、一緒に楽しもうともしませんでした。
パトラッシュは、とても飢えて凍えていましたが、ネロがいないところでは、ぬくぬくとしたり、おいしいものを食べたりする気にはなりませんでした。
すべての誘惑を退け、パトラッシュは扉にぴったりとくっついて、逃げ出す機会をずっと待っていました。
「少年を探しているのだな。いい犬だ! おれは、明日朝一番に少年を迎えにいくよ」と、コゼツのだんなは言いました。
というのは、パトラッシュ以外、ネロが小屋を立ち退いたことを知らなかったのです。そして、パトラッシュ以外、誰一人、ネロがひとりぼっちでみじめに飢え死にしようとしていたことを知らなかったのでした。
粉屋の台所は、とても暖かでした。大きな薪がぱちぱちと音を立てて暖炉の中で燃えていました。近所の人たちはあいさつをしに来て、それぞれ一杯のワインと一切れのまるまる太ったガチョウの焼き肉を振る舞われました。
アロアは大喜びで、遊び友達が明日には戻ってくると信じて、金髪の髪を振り乱してはしゃいでいました。
コゼツのだんなは、胸を詰まらせ、涙ぐみながらアロアに微笑みかけました。そして、彼もアロアの大好きな友達と、どうやって仲良くなろうかと話しました。アロアのお母さんは、穏やかな、満ち足りた表情で、糸巻き車の前に座っていました。時計の中のカッコウは、かん高い声で時間を告げました。
こうした中に囲まれて、パトラッシュは、ここにクリスマスのお客様としてとどまるようにと、さかんにすすめられました。
しかし、どんなに和やかな雰囲気につつまれていても、どんなにごちそうがたっぷりあっても、ネロがいないところにパトラッシュを誘うことはできませんでした。
夕食がテーブルの上で湯気を立て、話し声がひときわ大きくなり、おさな子イエスの格好をした小さい子どもが、アロアにとっておきのプレゼントを持ってきたその時でした。パトラッシュは、ずっと機会をうかがっていましたが、新しいお客さんが不注意にもドアの掛け金をはずしてとびらを開けたのを見て、さっと外に飛び出しました。そして、疲れ果てて弱りきった体が耐えられる限り、すばやく激しく雪が降っている夜の闇の中を、ひた走りに走っていきました。
パトラッシュには、ただひとつの思いしかありませんでした。それは、「ネロについて行く」という思いでした。
もし人間の友だちだったら、おいしいごちそうや陽気な暖かさや心地よい居眠りのために、アロアの家にとどまったかも知れません。でも、パトラッシュの友情は、そんなものではありませんでした。
パトラッシュは、昔のことを覚えていました。ある老人と小さな子供が、道端でのたれ死にしかけていた自分を見つけてくれた時のことを。
一晩中、雪が降り続いていました。もう夜中の十時近くでした。 少年の足跡のこん跡は、ほとんどかき消されていました。
パトラッシュは、においを発見するのに手間取りました。
とうとうにおいを見つけた、と思ったら、すぐに見失ってしまいました。見失っては見つけ、見失っては見つけ、ということを百回以上も繰り返したのです。
十字路のそばのランプの明かりは、風で吹き消されてしまいました。道は、まるで氷の板のようでした。見通しのきかない暗闇が、家々の気配を隠しました。外には、生き物はいませんでした。
牛はみんな牛小屋に入れられ、家々では、男も女もごちそうを楽しんでいました。
パトラッシュだけが容赦のない寒さの中にいました。年寄りで、飢えていて、体中痛みだらけでした。でも、ものすごい愛の強さと忍耐強さがパトラッシュの追跡を支えました。
ネロの足跡のこん跡は、新しく積もった雪の下にあって、かすかであいまいでしたが、それは、通い慣れたアントワープへの道に向かっていました。
パトラッシュがアントワープの町境を超え、町の狭い、曲がりくねった、暗い通りへと追跡を続けたのは、もう真夜中過ぎでした。
町はまったく闇に閉ざされていました。光といえば、ところどころ、家のよろい戸のすき間から漏れてくる赤みがかった光か、酔っぱらって歌を歌いながら家路を急ぐ人たちが手にもつランタンの光しかありませんでした。
通りは、氷が張って真っ白でした。高い壁と屋根は、そのそばに黒々とそびえていました。
吹きすさぶ暴風が通りを吹き抜け、店の看板をキーキーと揺さぶるか、高い鋼鉄製のランプを揺らす音以外は、ほとんど音もしませんでした。
とてもたくさんの通行人が雪の上を通った後でしたし、たくさんの小道が複雑に入り組んで交差していましたので、追跡しているネロの足跡を見失わないようにするのは、大変骨が折れました。
寒さが骨身に沁みました。ギザギザの氷が彼の足を切りました。そして、ネズミが身をかじるように飢えがパトラッシュを責めさいなみました。けれども、パトラッシュは追跡をやめようとはしませんでした。
パトラッシュは、今ややせ細った、ぶるぶるふるえている、あわれな犬に過ぎませんでしたが、決して追跡をやめようとはしませんでした。そして、愛するネロの足跡を辛抱強く追いかけ、とうとう大きい大聖堂の石段のところまでやってきました。
「ネロは、大好きだったあれのところにいったんだ」と、パトラッシュは思いました。パトラッシュには芸術は理解できませんでしたが、ネロの芸術に対する情熱はとても尊いものだと感じていました。ネロの情熱に対して、パトラッシュは悲しみと哀れみでいっぱいでした。
大聖堂の入口は、真夜中のミサの後も、閉められていませんでした。
門番が不注意で、扉のうちの一つの鍵をかけることを忘れていたのです。おそらく、家に帰ってごちそうを食べるか、早く眠るかしようとしてあせったか、ねぼけるかして、鍵を閉めたかどうか、ちゃんと確認しなかったのでしょう。
こんな手落ちがあったために、パトラッシュが探していた足跡は、建物の中へと続いていました。そして、黒みがかった石の床の上に、雪の白いしるしを残していました。
そのかすかな白いしるしは、床に落ちるや否や凍ってしまいましたが、パトラッシュはしんとしずまり返った丸天井の広大な空間の中を、そのしるしをたどっていきました。そして、まっすぐ教会の内陣の入り口まで来ると、石の床の上に倒れているネロを発見しました。
Copyright (C) Ouida, Kojiro Araki