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The Old Man and the Sea 08 老人と海


Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
 老人がふと見上げると、あの鳥が、また旋回を始めていた。
「魚を見つけたな」彼は声に出して言った。
海面を跳ねるトビウオはおらず、小魚が散らばる様子もなかった。
が、老人が見ていると、小さなマグロが一匹跳ね上がり、空中で逆さになって頭からまた水に潜った。
日光で銀色に輝くそのマグロが水中に消えてしまうと、次から次へとマグロたちが飛び上がり、四方八方に跳ねまくった。水をかき回し、餌を求めて大きく飛び跳ねる。
そして輪を描いて獲物を追い込もうとしていた。
 マグロたちの動きがあんなに速くなければ、あの真ん中に船を突っ込んでやるんだがな。老人はそう考えた。マグロの群れが水を白く泡立たせる様子や、パニックになって水面に上がってきた小魚を狙って鳥が急降下を繰り返す様子を、老人は見つめていた。
「あの鳥にはずいぶん世話になる」老人は言った。
その時、彼の足の下で輪にしてあったロープが、船尾のほうからぐっと引っ張られた。老人はオールから手を離した。ロープを堅く握って手繰り寄せると、小さなマグロが体を震わせながら引っ張っている力を感じる。
震える力は、ロープを引けば引くほど強くなっていった。水の中から、魚の青い背中と金色のわき腹が見えてきた。そして彼は、船べりを越えて魚を船に引き入れた。
魚は太陽に照らされ、引き締まった弾丸のような体をして、大きく無表情な目を見開きながら、良い形のよく動く尾を素早く震わせ、船板にその生命を打ちつけている。
老人は優しさから、魚の頭を叩き、蹴飛ばした。魚は船尾の陰に飛び、それでも震え続けている。
「ビンナガだ」老人は声に出して言った。「いい餌になるぞ。十ポンドはありそうだ」
 声に出して独り言を言うようになったのはいつからだったか、彼は覚えていなかった。
昔は、一人のときには歌を口ずさんだものだ。魚槽付小型船や亀獲り船で、寝ずに舵取りの番をするような時など、たまに歌を唄っていた。
老人が独り言を言うようになったのはきっと、少年が去って、一人になってからだろう。
しかし定かではなかった。少年と一緒に漁に出ていた頃は、必要な時以外ほとんど会話をしなかった。
二人が話すのは、夜とか、悪天候で船を出せないときだ。
海では不必要に喋らないのが美徳だったし、老人はいつでもその美徳を尊重していた。
しかし今、彼は自分が思ったことをたびたび声に出す。それで困る者もいないからだ。
「べらべら喋っているのを誰かが聞いたら、俺のことを気違いだと思うだろうな」老人は声に出して言った。
「だが気違いじゃない。だから構わないんだ。金持ちの奴らなどラジオを持っていて、船の中で喋らせるどころか、野球の実況までさせてるじゃないか」
 今は野球のことを考える時じゃない、彼は思った。
考えるべきは、たった一つ。そのたった一つのために、俺は生まれてきたのだ。
この群れのまわりに、大物がいるかもしれない。
まだ、餌を追うビンナガの群れから逸れた一匹を釣っただけだ。
しかし群れはもう遠く、速い。
今日は水面に見える全てが、北東に向かって高速で動いているようだ。
時間帯のせいか。それとも、俺の知らない、天気が変わる前兆だろうか。
 緑色の海岸線はもう見えない。見えるのは、青い丘の頂がまるで雪をかぶったかのように白く光る様子と、その上に高い雪山のように広がる雲だけだった。
海はとても暗く、差し込む光が水の中にプリズムを作っていた。
無数の斑点のようなプランクトンたちの姿は、高く昇った日の光でかき消されている。老人の目に映るのは、青い水の中に深々と延びるプリズムと、一マイルの深さまで真っ直ぐに垂らされている彼のロープだけだった。
 マグロたちは――漁師はこの種の魚を全てマグロと呼び、売ったり餌と交換したりする時だけそれぞれの名前を用いて区別していた――、再び潜ってしまった。
太陽はもう熱く、老人はうなじでそれを感じた。漕ぎながら、背中に汗が流れるのが分かった。
 漕がずに流すという手もある、と彼は思った。たとえ眠っても、ロープの先を輪にして足の指にかけておけば、目は覚める。
しかし、今日は八五日目だ。釣らねばならない。
 その時、ロープを見守る彼の目に、突き出た生木の枝の一本が勢い良くたわむのが見えた。
 
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami
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