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The Old Man and the Sea 17 老人と海
Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
太陽がしっかり手を温めてくれるだろう。彼は思った。
夜に極端な冷え込みが来なければ、引きつりはもう無いはずだ。
飛行機がマイアミに向けて頭上を飛んで行った。その影に驚いたトビウオの群れが、跳ね上がるのが見えた。
「これだけトビウオがいるなら、シイラもいるはずだな」彼はそう言いながら、あの魚を多少でも引き寄せることができないか、ロープに体重をかけてみた。
しかしロープは動かず、切れる寸前で硬く張りきって、水滴を散らした。
船はゆっくりと進む。彼は、飛行機が見えなくなるまで眺めていた。
飛行機に乗ったら、きっと妙な気持ちになるだろうな、と彼は思った。
あまり高いところを飛ばなければ、魚が見えるだろう。
二百尋くらいの高さをゆっくり飛んで、上から魚を見てみたい。
亀獲り船に乗っていた頃、マストの先の横木によく登ったものだが、そのくらいの高さでもずいぶん見えた。
そこからだとシイラは濃い緑色に見えて、縞模様と紫色の斑点も見えるんだ。それに、泳いでいる群れの全体を見渡せる。
しかしなぜ、暗い流れの中を素早く泳ぐ魚というのは、どれもみな紫色の背中で、紫色の縞や斑点があるんだろう。シイラは本当は金色だから、もちろん緑色に見えるんだが、
ひどく腹をすかせて餌を食う時になると、側面にカジキみたいな紫色の縞が浮き出るんだ。
怒りのせいなのか、それとも、普段よりスピードを出すせいなのか。
暗くなる間際、船はホンダワラでできた大きな浮き島に近づいた。ホンダワラはゆらゆらとゆるやかな波に揺られて、まるで海が黄色い毛布をかぶって何かと愛し合っているように見える。浮き島を通り過ぎようとした時、短いほうのロープをシイラが引っ張った。
そのシイラの姿が初めて見えたのは、空中に跳ね上がった時だった。沈む太陽で金色に輝き、身を曲げて荒々しく宙を叩く。
シイラは、恐怖で曲芸のように繰り返しジャンプした。彼は船尾に移動してしゃがみ、大物のロープは右手で持ったままで、左手でシイラを引き寄せる。ロープを引いては裸足の左足で押さえ、また引いては押さえを繰り返した。
魚は、死に物狂いで暴れてあちこちに突進しながら、船尾まで引っぱられる。老人は船べりから身を乗り出して、魚を引き上げた。光沢のある金色の体には、紫の斑点がついている。
その顎は激しく痙攣するように鉤を噛み、長く平らな胴体で、そしてその尾や頭で、船底を強く叩いた。しかし、金色に光る頭部を老人が棍棒で打つと、魚は体を震わせ、動かなくなった。
老人は鉤から魚を外し、別のイワシをつけて海へ放り込んだ。
それから、重いロープを右手から左へ移し、海で右手を洗った。彼は、海に沈んでいく太陽と、長いロープの傾きとを眺めていた。
しかし、水に入れた手の感覚からは、明らかに速度が落ちていることが分かった。
「オールを二本、船尾に縛りつけておこう。そうすれば、夜の間に奴の速度を落とせるはずだ」彼は言った。
シイラの腸は、少し経ってから抜いたほうがいいな。そうすれば肉の中に血を保っておける。彼は考えた。
少ししたらそれをやろう。オールを縛って足枷にするのも、その時にやる。
今は手を出さないでおいて、日暮れ時に奴を刺激しないようにするんだ。
彼は手を風に当てて乾かし、ロープを握った。できるだけ楽にして船板に寄りかかり、前方に引っ張られるままにした。そうすれば、老人にかかっている力の半分、いやそれ以上を、船に任せることができた。
やり方が分かってきたようだ、と彼は思った。ひとまずこういう感じだな。
考えてみれば奴は、俺の仕掛けに食いついてから何も食ってない。奴の大きさなら、食べ物もたくさん要るはずだ。
俺はマグロを丸一匹食べた。明日にはシイラを食べるんだ。
老人はシイラを「金色」と呼んだ。腸抜きしたら、少し食っておいたほうがいいだろう。
マグロよりは食いにくいな。しかし、まあ、簡単なことなど何も無いんだ。
「俺はずいぶんいいぞ。左手も良くなったし、食うものは明日の分まである。さあ、船を曳くがいい」
しかし心から気分がいいというわけではなかった。ロープをまわした背中の痛みは、もはや痛みを通り越してほとんど無感覚になって、危うい状態だ。
だがもっと辛い経験だってしてきたんだ、と彼は思った。
両足はしっかりしてる。それに、食料事情は奴よりずいぶん上じゃないか。
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami