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The Old Man and the Sea 25 老人と海
Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
深さ一マイルの海で、暗い色の血の雲が生まれて散っていった時、サメは深い水の底から浮かび上がってきたのだ。
すごい速さで一切の躊躇なしに浮上し、青い水面を割って太陽の下に現れる。
そしてまた潜り、匂いを手がかりにして、船と魚が進んだ航路をなぞって泳ぎ始めたのだった。
しかし、わずかな痕跡を手がかりにして再び嗅ぎつける。サメは猛烈な勢いで追跡した。
非常に大きなアオザメで、その体は海で一番速く泳げるようにできていた。しかも、顎を除けば全てが美しい。
背はカジキのように青く、腹は銀色に光り、皮は滑らかで美しかった。
巨大な顎以外はメカジキと同様の体だ。その顎を堅く閉じた鮫は水面のすぐ下を高速で泳ぎ、高い背びれは揺らぐことなく水を切り裂いていた。
閉じて重なった唇の内側には、八列の歯が内向きに反り返って並んでいる。
それは一般的なサメのピラミッド型の歯とは違って、人間の指が鉤爪のように曲がっている時の形に近い。
老人の指くらいの長さがあり、歯の両側はかみそりのように鋭かった。
海の中の全ての魚を食い尽くすために造られた魚だ。速さの面でも強さの面でも武装の面でも、敵はいない。
そのサメが今、新鮮な匂いを嗅ぎつけて速度を上げた。青い背びれが水を切る。
姿を見てすぐに、老人にはそれがサメだと分かった。恐れを知らず、望むものは全て手に入れるサメだ。
彼はサメが近づくのを監視しながら、銛を用意してロープをしっかり結びつけた。
魚を縛るために切ってしまった分、ロープは短かった。
老人の頭は今、はっきりと明晰だった。決意がみなぎっていた。しかし、望みはほとんど無かった。
あまりに良い事は長続きしないものだ、彼はそう思った。
襲ってくるのは避けられないが、きっと、倒すことはできる。彼は思った。この畜生、牙野郎め。
サメは素早く船尾に近づいた。サメが魚を襲う時、老人には、その開いた口と奇妙な目玉が見えた。サメの歯が音を鳴らして、魚の尾に近い部位にめり込む。
サメは水面から頭を出し、背中まであらわした。大魚の皮と肉が裂かれる音が聞こえたのと同時に、老人はサメの頭に銛を打ち下ろした。サメの両目を結ぶ線と、鼻から背へまっすぐ伸びる線が交差する一点に、銛が突き刺さる。
あるのはただ、頑丈で尖った青い頭と、大きな目玉と、音を鳴らし突き進んで全てを飲み込んでしまう顎だけだ。
だがその奥には脳みそがあり、老人はまさにその部位を突いた。
血まみれの手で、見事な銛さばきで、全力を込めてそこを突いたのだ。
何の希望もなしに、決意と純粋な敵意をもって、彼は突いた。
サメの胴体が回転した。その目には生気が無いことが分かった。サメはもう一度回転し、ロープがその体に二周分絡んだ。
サメは死んだ。が、サメ自身はそれを受け入れられないようだ。
仰向けになり、尾をばたつかせ、顎を鳴らして、スピードボートのように水をかきわけて進んだ。
尾に打たれた水が白く跳ね、その胴体が四分の三ほども水面から飛び出すと、ロープが張りつめ、震え、ぶつりと切れた。
しばらくの間、サメは海面に静かに横たわっていた。老人はそれを見守っていた。
「四十ポンドはやられたな」老人は声に出して言った。
銛もロープもみんな取られた。彼は思った。俺の魚から血が流れてる。これはまた、別の奴が来るぞ。
彼はもう、魚を見ていたくなかった。魚の体は食いちぎられていた。
魚が噛み付かれた時、彼は自分自身が噛み付かれたように感じていた。
だが俺は、俺の魚を襲ったサメを殺した。彼は思った。
あんなに大きいデントゥーソは初めて見た。でかいのはずいぶん見てきたはずだが。
これが夢なら良かった。こいつを引っ掛けることもなく、ベッドで新聞紙の上に一人で寝ていれば良かったんだ。
「だが人間は、負けるように造られてはいない」彼は言った。
「打ち砕かれることはあっても、負けることはないんだ」しかし魚を殺してしまったのは、申し訳なかった。彼は思った。
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami