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The Old Man and the Sea 26 老人と海
Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
デントゥーソは残酷で、有能で、強くて、頭も良い。頭は俺のほうが上だがな。
彼は思った。いや、そうでもないかもしれん。きっと、俺のほうが武器が多いだけだ。
「考えるな、爺さん」彼は声に出して言った。「決めた通り進めばいい。来たら来たで、それはその時のことだ」
だが考えるしかない、と彼は思った。俺に残されたものはそれだけなんだから。
大ディマジオは、奴の頭にぶち込んだ俺のやり方を気に入るだろうか。
まあ大したことじゃなかった、と彼は考えた。誰でもできることだ。
だが俺の両手は、骨棘と同じくらいのひどい悪条件だったと思わないか。いや、分からない。
俺がかかとを痛めたのなんて、赤エイに刺された時くらいだ。泳ぎながらエイを踏んでしまって、膝から下が痺れて痛くて耐えられなかった。
「爺さん、もっと愉快なことを考えろよ」彼は言った。「こうしてる間にも、家に近づいてるんだ。四十ポンド失って、身軽になっただろう」
海流の中心部に入っていけばどんな事が起こるか、彼にはよく分かっていた。
「いや、ある」彼は声に出して言った。「オールの握りの部分にナイフを括りつければいい」
彼はその作業を、脇の下に舵棒を挟みながら行った。足では、帆の端に繋がれた帆綱を踏んで押さえている。
「さあ」彼は言った。「相変わらずただの年寄りだ。だが、丸腰じゃないぞ」
魚の上半身だけを見ていると、希望が少し蘇ってきた。
希望を持たないのは愚かなことだ。彼は思った。罪でさえある。いや、罪のことなど考えるな。他に考えるべき問題はいくらでもある。彼はそう思った。それに、俺は罪について何も知らないんだ。
何も知らないし、罪の存在を信じているかどうかも分からない。きっと、魚を殺したのは罪なんだろう。
自分が生きるためでも、みんなに食わせるためでも、罪だろうな。だがそれじゃあ全てが罪だ。
罪のことなど考えるな。もうずいぶん手遅れだ。それを考えて金を貰ってる奴らに、任せておけばいい。
魚が魚に生まれたように、俺は漁師に生まれついたんだ。
聖ペドロも漁師だった。大ディマジオの親父も同じだ。
しかし彼は、周囲のどんなことについても、考えるのが好きだった。読むものも無く、ラジオも無いので、ずっと考えていた。彼は罪についてさらに考えを巡らせた。
あの魚を殺したのは、ただ生きるためでも、食料として売るためでもない。彼はそう考えた。
お前は、生きていた頃の奴を愛していた。死んでからも愛した。
愛しているなら、殺すことも罪ではない。いや、より重い罪だろうか。
だがお前、デントゥーソを殺す時には喜んでいたな、彼は思った。
腐肉をあさるような奴じゃないし、食欲の権化みたいなサメとも違う。
「俺は自分を守るために奴を殺した」老人は声に出して言った。「よくやったよ」
ある意味では、あらゆるものが、自分以外のあらゆるものを殺している。彼はそう考えた。
漁は俺を殺す。俺は漁に生かされているが、同時に殺されるんだ。
彼は船べりから手を伸ばして、サメがかじったあたりから魚肉を少しちぎり取った。
締まっていて汁気が多く、牛肉のようだが赤身ではない。
筋も全く無い。市場で最高の値段がつくのは間違いない。
しかし、水に拡がる匂いを止める方法は無かった。老人は、最悪の状況が近づきつつあると分かっていた。
風は吹き続けている。風向きは、東から少し北東のほうに変わった。つまり、当分はやまないということだ。
老人は前方を眺めた。しかし帆影は見えず、船体も見えず、蒸気船の煙も見えなかった。
ただ、トビウオが舳先から船の左右に跳ね上がり、ホンダワラの黄色い塊が漂っているだけだ。鳥は一羽も見当たらなかった。
二時間、船はそのまま進んだ。彼は船尾で体を休めながら、時々カジキの肉を少し食べ、力を維持しようと努めていた。その時、二匹のサメのうち、一匹目が見えた。
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami